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「アジアクルーズ日誌」の一覧

16日目 南下 南シナ海(ハーフウエイ・パーテイ)

投稿日: 2018年4月28日

20110208 南下 南シナ海

 

23時には横になった。目が醒めたのは4時半。早朝尿の検査、塩分摂取量は9.8g!!

これまで、10年間で1度も無かった数値である。恐ろしや、美味い外食!!

今日一日、絶食か粗食、それとも内食ラーメン三昧で終えるか。

とにかく、朝食に出て、菅井夫妻を捜して謝るしかない。

あのチーク材での彫り物の完成品の写真が消えてしまったからだ。

 

菅井夫妻には、謝った。

朝食はサラダとヨーグルトだけにした。

石沢君は、丸々2日間のアテンドで、気が休まらなかったのではないか。

母親の急死の後に、タイに戻って、今回のアテンドだから、かなり疲れさせてしまったに違いない。日頃に生活からすれば、怒濤の2日間だった。感謝。

 

9時からは、廣田由紀子クルーズコーディネーターによる「クルーズ・トーク」。

気の早いことに、来年の12年のクルーズ船内説明会が行われる。

同じ1月スタートで、西オーストラリアのパースを寄港地にしている。

「西オーストラリア・アジアクルーズ」。なるほど、にっぽん丸も飛鳥も企画しないコースである。1/11(水)~2/21(火)。

パラオのマラカス島~バリ島のベノア~コモド島~セマラン~パースのマントル~シンガポール~ペナン島~マラッカ~クチン~コタキバナル~香港。

40泊41日で、5階は112万円。早朝割引、船内仮受付なら100万円。我々には、健康的にも無理な時期になるから諦めもつく。妻は、説明会にも出ないで、選択と昼寝の時間にするという。僕も身体を休めたいが、

まだ、横になっていたいのと、塩分を身体から抜くために、水だけを飲んで、昼食は抜くことにした。

展望風呂は午前6時から9時までと、午後は15時からだ。陽のあるうちの入浴もいいものだ。遙かに海原を眺めながら湯に浸かるのも、おつなものだ。もしかしたら、荘輔さんとバッタリかも。

早風呂の面々は、どうやら、決まっているようだ。全く見知らない顔が多い。上層階の船客だろうか、バスローブを着込んで入って来られた紳士がいた。

歩き疲れた全身を癒すのには、やはり、スティームサウナだ、とばかりに、今までにない長さで自分を閉じ込めた。人が少なかったので、座ったままで、梨状筋のストレッチをやり終えた。

 

「ネック&ショルダー」を腰骨周辺に塗りたくった。しかし、大腿部には塗らなかった。

今夜は、「ハーフ・ウエイ・パーティ」と称するインフォーマルの日だからだ。

 

荘輔さんとは、入れ違いだったようだ。11階から5階へ降りた時、開いたエレベーターの向こうに彼の顔があった。彼は、航海の半分が過ぎたのをきっかけに、「ライトハウス」(船内新聞)、地図からパンフレット、写真ほかを整理整頓し直したのだそうだ。見習いなさい、と妻が眼で言っている。

 

 

 

BKK市内を案内をしてくれた、石沢君へお礼のメールを、インマルサットのネットメールを打ちに行かねばと、気が急くが、時間のやりくりに、つい忘れてしまっている

 

可児さんたちと一緒に夕食をしましょうと約束をしたらしい。先ず、美子さんが先に8階のメインホールへ上がった。遅れて、荘輔さんと我々が。ホールを見渡すと、美子さんだけだった。可児さんたちは別のテーブルに居た。互いに姿を確認し合った。

今クルーズは、船長が二人、ドクターはバンコックからもう一人が乗船して二人体制。そしてホーチミンから乗船して明後日シンガポールで下船する飯田総料理長がステージに上がった。キャプテン以下の6役のコメントを聞いた。

メインホールからの出口は片側だけで混む。可児さんたちの姿を見失った。夕食で一緒ならどちらかが席で待てばいいのだと、可児さんとは別々に7階のダイニングに入った。エルビンに7名の席を創って貰い、可児さんを待つ。しかし、可児さんたちが見当たらなかった。ところが既に、右舷側の奥の席に座っていた。どうやら、こちらの席に移ることが難しい状態だと、手で相図してきた。エルビンに謝って、他の方々に席を空けた。

 

白ワインをボトルで取った。写真の消去に対するお詫びとした。

エルビンには、四人の姿を撮ってほしいとカメラを渡した。カメラを返してくれる手に、ハーフウエイ・チップをそっと渡した。

飯田総料理長が各テーブルを一言二言話して回っていた。我々の席に来たときに、こう話しかけた。

「これから、段々暑い地域に入ります。少し、塩っ気を足して調理しますので、疲れをお取り下さい」

驚いた。「SP」カードを置いた客に、無神経なことを話したものだ。「SP」カードの脚は、何らかの制限を受けている脚でアル。むしろ、こう言って欲しかった。

「SPカードをご呈示されていますが、どういう制限なのですか?お食事には、満足されていますか?」

営業的には、こういって欲しかった。

レシピ-を管理する側が、毎回、塩分要領をメニューカードに印刷付記してくれれば、どこの客船にもない高年齢層に喜ばれるスタイルになるのだが。

 

食後に少し、ゆったりしたいと11階のオブザベーション・ラウンジに上がった。

ところが、ウエイターもバーテンダーもいない。準備中というわけでもなかった。せっかく、インフォーマルの夜くらい、オープンの時間を繰り上げてもいいだろうに、やはり、20時までは無理だった。

プールを挟んで、船尾側の12階、トップラウンジに上がった。辛うじて開いていた。というよりも、バースタッフがいたから、僕らが口開けになったのだろう。

ブラディーメアリーをオーダーした。

2杯目を如何ですかとウエイトレスが訊いてきたが、要らないと答えた。機内で飲むものよりも不味かったからだ。テキーラ・サンライズは、ただのオレンジジュースだったと、妻が言う。客がまだ来ていないのを幸いに、アルコール談義となった。

 

今夜のインフォーマル「、ハーフ・ウエイ・パーティ」(にっぽん丸では、「キャプテン・ディナー」という)でのシャンパンも不味い。気が抜けた水だという声さえ聞かれた。そりゃあそうだろう、我々よりも格段上のランクの方々が、元重役連が多く乗っていらっしゃるのだから、シャンパンの味を判っている船客は多いはず。

我が家でお気に入り「笑う牛」のひとくちチーズも6人が座るテーブルに2個しかない、10枚の海老煎餅が、どれほどきれいにディスプレイされていようと、ましなモノを置くべきではないか。シャンパンからしてそうなら、テーブルのチャームも情けないほどに予算を押さえていることが見え見えだ。

アルコール類のメニューカードを予めテーブルに置いて選ばせてくれるのは、にっぽん丸。ところが、今晩は、2杯目を手にしたくても、ウエイトレスは、後ろに下がってしまう。船内カメラマンも1人では回りきれないだろうとだが、壁際にいたりして、客の見えない後ろに退いてしまっている。手で合図を送っても、察知しない。結局、着飾った妻たちは、写真撮影のチャンスを逸したと言う。ならばと、コンパクトデジカメで我慢して貰った。

メインラウンジに皆をきちんと整えて集めて置いて、しゃれっ気も緊張感も感じさせてくれない、この場の雰囲気は何だろう。形ばかりのイベントで満足すると思っていたら、日本のクルーズ客は育たないだろう。こうした眼に見えないクルーズファンが、外国船のクルーズ客に流れていくのだろうか。サービスに心を砕いているフィリピンスタッフに申し訳ない。

 

今夜のメイン・プロダクション・ショーは、コメディ・マジックだが、観ないで部屋に戻ろううよ、と菅井夫妻とエレベーターで下がった。

帰りに寄り道して、石沢君へ感謝のメールを打って置いた。

 

 

今夜も、波は穏やかで眠りやすそうだ。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

15日目 バンコック2

投稿日: 2014年8月8日

 20110207 バンコック2

 

朝、緊張した面持ちで起きた。7時までに2㎞先のゲートへ歩く。

イミグレ代行のビルからゲートまで倉庫が建ち並ぶ道を歩くのだ。

菅井夫妻と妻を伴って歩くのだ。気が抜けない。

石沢君は、レンタカーで7時には到着するからだ。

朝早く起きてくれた彼のためにも遅刻は出来ない。

船内のレストランがオープンする6時には、我々は朝食のテーブルに座っていた。

昨晩ベッドに入ったのは午前2時である。睡眠時間は、僅かに3時間だった。

2kmの道を歩かないでも良い方法を考えていた。

元々、水上マーケット行のツアーバスも此処から出発するのだ。

だから、美子さんのあの交渉力で、「ゲートまで、ちょっと便乗させてくれない?」

と頼むつもりでいた。

しかし、ツアーバスに空きの座席がない時は、断られるだろう。

そうなってからでは、待ち合わせ時刻には間に合わない。

かなりの時間を遅刻する。

先に船から下りて三人を待っている時、誰かに声をかけられた。

「お早う御座います」。日本人だ。

現地代理店の方だと直感した。

念のため、前日にダメ元で頼んでおいたのだが、確信がない。

「伝わっているかどうか、判りませんが、車が空いていましたら、

ゲートまで送っていただけないかと頼んでおいたのですが・・・

我々4人を送って下さいませんでしょうか」

ちょっと待って下さいと言って、車まで走って行ってくれた。 両手でOKサインを出してくれた。

急いで、4人が車に乗り込む。倉庫街が続く2キロは、無機質で不気味ささえ与える。

車で走れば、ものの2分だった。 守衛門の外に出て石沢君のハイエースを待つことにした。

 

「早いじゃあないですか、お早う御座います、石沢です」

グレーのハイエースから降りてきて、菅井夫妻に挨拶した。

本日のドライバー、ガオさん、愛称は9(キュ-)さんだと紹介を受ける。

車はバンコック郊外の西南、一路、水上マーケットへ向けて走り出した。

水上マーケットへ出かけるチャンスを2回逃してきた。

1度目は、リンタス・ワールド・コンファレンスで出席したとき、

2度目は、妻とホアヒン移住の下見に来たときである。

3度目の正直、早起きしないと市場が終わってしまうと言うので、

わくわくして乗った。

 

 

トンブリ地区を抜ける頃、田園風景に白いものがちらついた。

よく見ると、塩田だった。かつて、昔、ホアヒンで観た光景と同じだったが、

人がいるので、降りてみた。

道路を走る車に塩を売っているのだ。

珍しい土産にと、菅井さん共々、買い求めた。

 

 

市内から約80km走って、水上マーケットを示す看板が見えた。

「ダムヌン・サドアック水上マーケット」。

http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=124

しかし、周りを見渡しても、水路が見えない。

車は、左折した。広い駐車場の先に、チケット売り場らしい椅子がある。

 

 

実に、質素な造りの小屋に、選択するコースが図解されてある。

キューさんは車で、終点に向けて車を回すという。

我々は、船着き場から乗り込む。喫水線が浅いというか、

波を受けたらすぐに流れ込むのでは無いかと思える程だ。

ベトコンの水路と同じで、狭い水路が入り組んでいて、

あちこちに住む生活が垣間見られる。

 

 

狭い水路から広い水路へ船は縦横無尽に走る。

あたかも洪水に見舞われたかと思わせる風景が現れるが、よく考えて観れば、

道路は河であり、家々は、高床式である。目に錯覚。

 

 

途中、

名前も知らない、寺院に停まった。

お参りしてしてから、マーケットに入ろうというわけだ。

互いに、仏様に身体に、買った金箔を貼り付けて、神妙にお参りをした。

 

 

水路を曲がったら、いきなり別の世界が現れた。

わっと、色が飛び込んで来た。

実にカラフルな世界が広がっていた。

姦しい。船に積んだ果実や食料を大声で売り込んでいる。

それが、船から船へ、手渡しで売買されていく。

 

 

 

ああ、この華やいだバイタリティーあふれた光景は、映画でお馴染みだ。

東洋のベニスと呼ばれた光景が目の前に広がっている。

近代化が進んで陸上交通が発達して水路が減少していくのを苦慮した政府が、

水路保護と観光客誘致のために、このダムヌン・サドアク運河も再開発したのだそうだ。

 

 

意外だったのは、曲がりくねった水路の脇に、水際すれすれまで、

土産物や彫刻、衣類などが飾られていて、客はそれを直に手にとって値段交渉となる。

買いたいなと思いながら観ていると、船は進んでしまい、買いそびれる。

 

 

船同士の渋滞が半端ではない。進むもの退くもの、少しの間が空けば、

船の切っ先を差し込む。

小刻みに噴かすモータースクリューの巧みな扱いで船を進める。

プロパンガスのボンベを載せた船は、揺れる中で器用に包丁を使って、

料理している。朝食を食べる人がいるのだ。

僕は、この手の料理は美味いと言われても、絶対に食べられない。

台湾ロケをして以来、屋台の料理が食べられなくなったからだ。

いかにもイタリア人と思える男性が、立ち上がって、歌を歌う。

ここは、イタリアのゴンドラより、面白いのだろう。 衣服も手工芸品も、欧米人が気前よく買う。

土産にだろうが、数が半端じゃない。日本人よりも、

彼らの方が金離れがいいから、優遇される。

 

一過性の水路に並ぶ、数々の土産品、何が出て来るか判らない楽しさ、

比較できないことの買い急ぎの失敗。

 

 

なるほど、2回目も訪れたくなる訳はここに仕掛けがあるのだ。

妻は、なにやらいろいろと船から手を伸ばして、買い足していた。

手芸品では、窓飾りの鳥を買ったようだ。

過日のメコン川遊覧ツアーに参加しなくても良かったくらいだ。

 

帰路に寄ったのは、

木工クラフトマンショップの「ロイヤル・タイ・ハンドクラフトセンター」。

 

 

 

 

デモンストレーションのように、

 

 

一本の幹の中に、何体もの仏像を掘り抜いている匠もいれば、

一枚の厚いチーク板で、4層もの奥行きに僧侶から象、猿、蛇など重層に、

歴史らしきものが彫り込まれた絵巻を丹念に、もう4年も彫り込んでいる匠もいた。

奥の庭には、見上げるばかりの大きさで、木彫りの象が何体も並んでいた。

実物大に近い象だから、この前で、記念写真を撮った。

 

 

 

どの木彫りを見ても、アーキテクトクラフトマンの繊細さと耐久力には、驚かされる。

取りかかったら、2年、3年というものが少なくない。

ここで掘られているのは、既に、オーダーを貰ったものだとか。

気に入った家具もディスプレイされていたが、

案外、日本の間取りでは、部屋が家具に占められかねないなと笑って流した。

 

 

石沢君は、さらに、大きな寺院を観て帰りましょうと、

釣り鐘状の寺院に寄ってくれた。

ナコンパトムの「ワット・プラパトムチェディ」である。

http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=115

 

 

 

確かに小山の上に聳え立つ鐘の形をしたお堂は、大きい。

世界一の大きさだという。世界遺産に申請中だとも。

タイの人たちにとっては、王室に繋がる重要な仏教寺院なのだと知る。

チャオプラヤの寺院を観たら、此処まで来て、世界一の寺院を観て貰いたいと、

バンコックの人たちは勧めるのだ。

毎年、11月の満月の日はタイ全土から巡礼者が集まるという。

 

 

足下は、テントを張り巡らせたショッピングモールができあがっていた。

駐車場が見つからないと、キューさんが車を転がしながら探すという。

しかし、何処を歩いても、こうした寺院は僕には、

霊験あらたかになることはなかった。

京都の寺院を歩いても、抹香臭いと言ってしまうので、妻が顔しかめる。

バンコックまで残すところ、60km。これで、一路、バンコク市内へ。

我々のリクエストで、中華街でのフカヒレスープを菅井夫妻に食べさせたいと、

ヤララジ通りを目指して欲しいと頼んだ。

食べる店は、石沢君とキューさんに任せた。

市内に近づくに連れて、夕暮れの渋滞に填まった。

運転するキューさんが気の毒になった。

抜け道をあれこれ走って、とある駐車場に着いた。

降りたその場所から、店に入るではないか。

つまり、裏口から入ったのだ。

ここで、待望のフカヒレスープを口にするのだ。

流行る気持ちでメニューを覗くと、

形の崩れていないヒレで、しかもサイズの違いで、

オーダーするか、形は崩れていても量で味わうか決める。

当然とは言え、後者になった。

 

かつて、藤井さんとこの町に夜訪れた。

道路に横付けされた真っ白い車から、時折、白い湯気が上がる。

道路脇の丸椅子には、10人くらいの客が大きな丼からスープを飲んでいる。

素手で掴んではいけない素焼きナベの中にたっぷりの熱々スープが、

自分に来るまでのもどかしさ。料金は、2000円だった。

この店でも、店先で素焼きナベを火に掛けている様をデモンストレーションしている。

手つきをみると、我々のヒレは、袋から鷲掴みしたそれを一、二度投げ込んでいる。

この辺が、おおざっぱでいい。

ここの6人分の支払いには、事前に渡しておいた軍資金だけでは不足するだろうと、石沢君に訊ねる。

とりあえず、200バーツを渡しておく。

遅い軽い昼食を終えた。

少し歩こうと街へ繰り出した。

 

 

 

 

旧正月の飾り付けが華々しい。

ここは、新春を迎える国である。

なんとか、また正月を迎え手得した気分になった。

しばらく、晴れがましい街を歩き、横丁に入った。

食材なら生きたまま何でもあるというほどの、

”狭い京都錦市場”を見学した。

 

 

 

菅井さんからのリクエストは、

バンコックの1番人気のショッピングビルに連れていって貰いたいということだった。

買い物をしていないからだ。

ショッピングビルでは、駐車場の苦労は無いとキューさんは即座に了解した。

エスカレーターで何階ものフロアーを歩いたが、

結局、足が止まったのは、シルクの売り場だった。

確かにこの色彩は、何度みても、目移りがする。

微妙な色が品を訴えてくれる。

 

 

 

立ち襟の白黒ストライプのシャツが気に入ったので、妻にどうかといったら、

私には似合わないわよと、遠慮された。

また無駄遣いをという顔だった。

菅井夫妻もウチも、シルクのスカーフを何枚か買った。

夕食はトンローの通りで、初めての店に入ろうとしたが、

結局は、初めてバンコックに来た夜に藤井さんに連れて行かれたレストラン。

半野外の広いレストラン、「トン・クルアン」になった。

http://www.jiyuland.com/map.html

 

 

 

荘輔さんの大好物、蟹を中心にした料理を頼んでもらった。

スーパードライのプロモーションガール が盛んに媚びをふり、

ビールのオーダーを勧める。勿論、頼んだが、荘輔さんは

意外にも、「メコン」タイの米焼酎を喜んでくれた。

 

 

 

 

僅か2日間の滞在であったが、我々夫婦達にとっては、一週間にも等しい充実感を得た。

石澤君のアテンドに感謝しすぎることはなかった。

運転手のキューさんとレンタカーを返して家路に向かうのだから、まだまだ時間が掛かる。

我々だけが、船室に入ってしまうのが申し訳ない思いだった。

 

 

 「大風呂に行くだろ?帰って来て、気力に余裕があったら、部屋で一杯やろうよ」

 「はい、そうします」 

「先に行ってるよ」 

 荘輔さんにそう言われて、自室に戻った。

今日の写真をパソコンへ取り込む作業の途中だった。風呂へ行く前に、済ませてしまおうと、通常なら、ソフト任せにするところを、手動でペーストした。

 今日撮影のメディアが二枚に別れていた。最初の一枚分は、昨夜の「バニヤンツリー・ホテル」の屋上バーでのスナップだ。 パソコンへの移し替えが終わったものとして、その屋上バーのスナップを消去して明日に備えた。

 

 さて、風呂へ、と立ち上がりながら、パソコン側へ移したフォルダーのタイトルを書き換えた。

念のために、中を開けて見ると、写真の枚数が少ない。

290枚は撮ったのに、である。 妙だ?!と、カメラ側の、もう一枚のフォルダーを開けて見た。 

あっ!・・・・・・キエ、テ、イタ!!のだ。何を勘違いしたものか????・???? 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうしようとすることもできない。既に、跡形もないのだ。

パソコン側に1度取り込んでいれば、 こんなミスを犯さなかったのに、だ。

 

やってしまった。念願の水上マーケットだっただけに、悔やまれる。

しょげた顔して、大風呂に出掛けることとなった。そんなこととは、知らない、荘輔さんは、おお、と手を挙げて合図して、サウナ室に消えた。

 

実に中身の濃いバンコックを石沢君のアテンドで愉しく終えたはずが、大きな落とし穴があったのだ。ショックなの夜になった。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

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