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萩原 高プロフィール

萩原 高(はぎわら たかし)
(株)ソーホー・ジャパン顧問。 (株)ネクストマジック取締役。
名古屋出身。青山学院大学経済学部経済学科卒。
ゼミ:上岡一嘉教授(後年白鴎大学創設、初代学長)「広告論」。
部活:放送研究部制作課員。

1963年 株式会社博報堂 入社。
総合企画局ラテCM制作部配属、生CM担当。佐々木硝子、ブラザー工業担当。
1965年 1年間長期出張で名古屋支社に赴任。
松坂屋本店生CM担当。ポッカレモンの飲料市場提案、新製品「ハ二―・ポッカ」を市場導入。
本社帰任後、サンヨー食品「サッポロ一番」、花王「ハロー歯磨き」「ニベア」「マジックリン」の新製品市場導入を経て、大正製薬「リポビタンD」他を担当。
1973年 CMディレクター。カネボウ石鹸チームに配属。
「絹石鹸」担当後に、カネボウ化粧品「ソワドレーヌ・イレーヌ」他の新製品市場導入。
カネボウホームプロダクツ企業名提案。東亜合成「アロンアルファ」、北日本食品工業を担当(後の社名「ブルボン」提案)。
日本IBM、味の素AGF(壇ふみ+阿川佐和子コンビを生む)、日本アジア航空(台湾全土を撮影走破)他を担当。
1986年 シニア・クリエィテイブ・ディレクター。
アルバイト情報誌「フロム・エー」創刊市場導入戦略担当、薩摩酒造「白波」のメディアミックス戦略表現を担当。
アサヒビール「スーパードライ」新発売市場導入戦略を担当する他、トヨタ、NEC、明治乳業、ファイザー製薬等々、各社の企業戦略・市場戦略を構築。
この間、博報堂リンタス・クリエィティブディレクターを兼務。マレーシア・バンコック・マドリッドでのワールドコンファレンス出席。
1992年 名古屋支社長代理(マーケティング部、制作部担当)。
日本広告学会会員。メニコンをJリーグオフィシャルサプライヤーとして広告戦略展開。
竹本油脂「太白油」週刊文春連載シリーズ提案。日本デンソー業務初獲得。
1995年 本社帰任、「たらみ」果実カップの関東市場導入。
参照(たらみ)
1997年 研究開発局主任研究員。
1999年 ポッカコーポレーション宣伝企画顧問(~2001年)
2000年 ソーホー・ジャパン、花ごころ他顧問。
参照(花ごころ)
2000年 西武文理大学・サービス経営学部助教授。
「商品開発論」他を担当。ゼミ「少子 化高齢化社会でのサービス業の変容/新サービス業の創発」。
2001年 ネクストマジック取締役
2002年 シーシーアイ商品開発担当顧問(~2004年12月)
参照(シーシーアイ:ダイポルギー)
2003年3月 西武文理大学辞職。同年4月「にっぽん丸」で世界一周出航。
2005年10月 『思いきって世界一周』(あいでぃあ・らいふ社刊)上梓
2006年4月 「にっぽん丸」で再び、世界一周。
2007年5月 「にっぽん丸」で南太平洋一周。
2007年10月 日本デッキゴルフ協会設立。副会長。
2009年3月 東京映像テクノアカデミア講師並びに東京工芸大学映像学科講師辞職。 現在に至る。

別項

  • 1979年、社命による博報堂初の派遣大学講師となる。日大芸術学部放送学科を、現業兼務で22年間務めた。放送広告業界で活躍中の教え子によるOB会組織が創られている。他にも宣伝会議コピーライター養成講座講師、東京商科学院ビジネス研究所CMプランナー養成講座講師、韓国及び台湾大手の広告会社クリエイティブ部門の研修講師を務め、東京工芸大でも、非常勤講師を請われた。東北新社運営の映像テクノアカデミアは、1995年開校時からCM科(コース専任講師を務めたが、2009年3月修了式を以て依頼退職。1979年から30年に及ぶ業界志望者への後進啓蒙指導を終えた。
    参照(映像テクノアカデミア)
  • 1988年~1993年(社)全日本CM放送連盟、ACCフェスティバル審査員。
  • 1995年からACC・CM向上委員会委員を務め、「匿名座談会」を提案スタート。ACCウェブサイト立ち上げを提案、作成。
    参照(ACC)
  • 1997(平成8)年、「ACC貢献賞」授与。
  • 1999年、弊社ソーホー・ジャパン顧問就任後、名古屋地区の若手経営者のために異業種間市場発見塾「筍塾」を主宰。 企業の宣伝企画担当顧問も数社務めたことで、広告業界志望者教育現場から、広告会社での戦略提案現場、広告主の商品開発情報発信現場まで3分野を実践経験したことになる。 さらに、2005年7月、岩手缶詰ワイン「十二夜」のオリジナルボトル・ラベル・パッケージが岩手広告賞で企画賞を受賞した。
    参照(十二夜ワイン)
    オーシャンウイスキーから始まり、中村酒造、薩摩酒造、アサヒビールを経て岩手缶詰ワインと、これで酒類業界の全分野を担当したことになる。

“ 広告の力は、市場のどこにテコを置くかに拠る”と考え、“社会性を帯びた視点で表現する”ことだった。また、クライアントとの関係は“小さく産んで、大きく育てる”(低予算・ローカルエリアから、マルチメディア・ナショナルブランドへと成長させるマーケットデザインすること)を信条とした。関東以北支社担当責任CDとして、仙台支社、札幌支社業務を支援し、後に盛岡博報堂を、また九州支社・新潟支社の特定広告主を担当したことと、2度の名古屋支社着任の各地でそれは実践された。鉛筆、児童劇団から、車、コンピューターまで(生保、タイヤを除き)広範囲な全業種を担当した。国内外の受賞、講演数多。
氏は、また、立体的なスペースデザインにも興味があり、ネーミングから店舗リフォームまで要請され、リニュウアルした経験を持つ。池袋要町で、洋酒バー「タック坊主」を、六本木竜土町に東京で初の焼酎バー「O2」を、名古屋では、餃子専門店「地安門」をオープンさせた。熱海の自宅は、傾斜地に変形3階建ての自宅をデザインもした。

社会的に影響を与えた主な広告戦略事例

■ポッカレモン

「ポッカレモン」の食卓調味料を飲料分野へカテゴリーシフトを提案。ビタミンC飲料「ハニーポッカ」を発売して健康飲料という新市場を創る。その後の同社は主力分野を飲料に置き、自販機開発導入を積極的に展開し、ホット「缶 コーヒー」市場を創り、大手飲料メーカーの一角となった。

■フロム・エー

リクルート社求人情報誌「フロム・エー」を創刊プロジェクト時から担当。広告表現からイベント、番組企画、企業ブランド戦略まで構築。 苦学生用語だった「アルバイト」という概念を壊し、新しく「フリーター」という社会的職分を認識定着させる基盤を創った。その後の「カーセンサー」「エービーロード」「じゃまーる」「ガテン」の創刊起爆剤となった。

■スーパードライ

アサヒビール「スーパードライ」を担当。新製品市場導入戦略を構築した。当初関東地域での販売であったが、GW以降に関西市場にも拡大。4年間の広告表現戦略実施で既成のビール市場を攻め、今日のスーパードライ・ブランドのトーンマナーを築き、トップブランドへの市場基盤を創った。

■アロンアルファ

東亜合成アロンアルファの効能効果を示そうと、ノーカット・デモンストレーションCMを展開。CM映像の持つ強みから、海外3大賞の常勝受賞プロダクツとなり、世界市場から多くの信頼も得て今日に至っている。

■名古屋グランパスエイト

戦略担当。従来の赤白黄色のユニフォームを、シンプルなレッド強調のチームカラーに変更し、ニックネームを「赤鯱軍団 と提案採用。メンバー補強を伴って、新しい意欲をみなぎらせたチームは、翌年正月に天皇杯を奪取した。

主たる執筆掲載

「萩原高のTVCM時評」

4〜6P(1977年)1年間連載 広告専門雑誌「ブレーン」(誠文堂新光社 当時)

「タイガーズアイの広告戦略」

4P(1987年)1年間連載 広告専門雑誌「コマーシャルフォト」(玄光社)

COMPETITIVE MARKET SEMINAR「戦略新時代」

4P(1988~90年)2年間連載 広告専門雑誌「コマーシャルフォト」(玄光社)

TV番組評コラム「波潮」

(1993年)3ケ月間執筆 中部日本新聞 朝刊TV欄

「どうしても気になるテレビCMのあの曲」「業界インサイド・ストーリー CM業界師弟対談」

(2005年)(宝島MOOK)

「思い切って二人で世界一周の船旅」

426p(2005年)(あいであ・らいふ 刊)

最終更新 2011年 11月 29日(火曜日) 15:04

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