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「K/SWISS」の一覧

自分の中でのブランド・スイッチ

投稿日: 2013年4月5日

●ウオーキング。
一日1万歩は無理でも6000歩なら、と始めた。88キロの体重が腰を悪くしていると思ったからだ。最初は、JRのスポーツ・ジムに入った。しかし、続かなかった。プールで歩くこともやって見た。しかし、ご年配の婦人たちと狭い水路でぶつかりすぎて、それが嫌で、やめた。スティームサウナに入るだけとなった。結局は、退会した。クルーズでも、朝食前のデッキ・ウオーキングをしたが、毎日のデッキゴルフ対戦で疲れて朝もギリギリに起きるようになった。


自宅の近くの不忍池を一周することにした。博物館、芸大から、水族館、横山大 観記念館、東天紅を回ると、かなりの距離を稼げた。しかし、ナイト・ウオーキングとなると、このコースはホームレスの空き缶回収作業場と化す。時折、神田駅や、西日暮里駅までJRで身体を運んで、そこから、上野まで歩く。犬山のライン下りのトラック舟の、あれだ。

 

最近は、家内も一緒にいうので、コースを変えた。上野駅から隅田川に向かって、駒形橋経由、吾妻橋から、雷門、田原町、合羽橋、稲荷町というコースか、それとも、秋葉原、三井記念病院から、バンダイ本社、駒形どぜうという逆回りで歩く。夕食後は歩きやすい。このエリアは、名古屋の碁盤の目のように、直線が多い。
 脊柱管狭窄症になった昨春から半年間は、それも出来なかった。厳冬の期間が過ぎた。
これから、また、歩き出すことにした。

 
●ウオーキング・シューズ。
足は身体のバロメーターだといわれてきた。足底を踏むことで、血管を心臓に送り込む役割がある。自転車タイヤのポンプの役割である。そもそも、「バッシュー」と呼んでいた世代である。高下駄も履いていた。会社時代はブーツの愛用者でもあった。スポーツシューズは、専ら、ロケ出張用とも云えた。ここで、或るブランドのスポーツシューズに嵌まった。音楽プロダクションの吉江一男さん(http://www.facebook.com/kazuo.yoshie)の影響だ。LAXでフロムエーのロケの時だった。音楽制作で滞在中の彼が履いていた「K/SWISS」クラシックだった。真っ白なレザーシューズで白に白のファイブストライプというシンプルさ。
https://www.k-swissstore.jp/lp3/

 

テニスシューズだから、ブレーキもキックもクイックに反応する。それが気に入って、履き込んだ。ところが、オールホワイトというのが、国内では少ないことに気付いた。アラモアナ(オアフ)、イーテーウオン(ソウル)や、ブロンボンのエンポリュウム(バンコック)、忠孝東路のSOGO 太平洋崇光百貨(台北)などなど、行く度に漁っては買い込んで来た。アメ横には、常時置いてなかったからだ。その後、二人目の人物に教えられて、猛烈な影響を受けた。ゼミの留学生、Kaori Wu(http://www.facebook.com/kaori.wu)の勧めた「CAMPER」だ。スペインが本社。http://www.camper.com/ja_JP/company/history/origins


世界一周のコースでマヨルカ島に寄港地があった。本場で買おうと勢い込んだ。青山、原宿のショップには、気に入った型番はなかったからだ。当初、ナポリのアーケードを走り回った。マヨルカ島のパルマ港に着岸した。街を走り回ったが、レディスばかり。意外なことに各店舗が持っている品数も少ない。落胆する。それからは、ヨーロッパの寄港地を探し回った。結局、3年後にもう一度クルーズのチャンスが来た。今度は、アテネのシンタグマ広場近くの2店舗を皮切りに、寄港地では、カンペールショップ探しとなった。ついに、ロンドンのコヴェントガーデン近くと、オックスフォードの横丁で見つけた。さして、日本と比べて安くはなかったが、ブラウンとブラック2足を買ってしまった。そして、いわゆる革靴に取って替わった。

 

ところが、ウオーキングには重いのだ。K/SWISSは、くたびれて来ていた。それを目にした、アカデミアの教え子(http://www.facebook.com/akiko.hara.754),がTYOに内定したお礼に、僕のシューズを買いたいという。磨り減ったK/SWISSを余程見かねたのだろう。靴屋の多いアメ横を一緒に歩いた。K/SWISSのニューモデルを探すつもりだった。然し、それは、既に、デザインがごてついていて、昔のシンプルさがなくなっていた。手に取ったのが、ヨネックスだった。初めてだった。試し歩きをした。軽い。これまで履きこなしてきたどのブランドよりも軽くて、踵を包んでくれる。プレゼントされた日から、それを履いて歩き出した。何よりも疲れないのだから、気に入った。これで、海南島もダナンもバンコックもバリも歩いた。さすがに磨り減った。http://www.yonex.co.jp/products/catalog/book/book1501/#page=27

 

もう一足、ブラックを買い足した。これで、奈良、神戸、京都を歩いた。ホワイトの買い換えをしたいと、アメ横へ向かった。「ロングス」の店主、永井さんがこう言った。
「あれねえ、家のお客さんたちからも、頼まれるんですがね、もう、生産中止なんですよ」
「軽くて、踵のホールディングもよくて・・・」「そう、あれはね、防水もしてあるし、底はパワークッションですしね・・・でも、国内で一番売っているウチに無くなった以上、もう、何処のお店でも見つからないでしょうね」「・・・・」「外神田のヨネックス本社に訊いて、どこか地方の店にでもあれば、取り寄せてもらうしか、・・・どうかだかね・・」
問い合わせてみた。「永井さんのところで、売り切れたとなれば、既に売り切れたのですね。お褒めを頂き有り難うございます。現在、再制作する予定はありませんが、開発の部署に、お客さまからのご意見をお伝えしておきます。有り難うございました」。
3Eサイズで、サイドジッパーで、防水、パワークッションとなると、やはり、生産中止になった、もう一つのモデルがあるが、このデザインはどうかと、倉庫から出して来たのが、ブラウンの革製だった。少し、重い。CAMPERや、K・SWISSと比べても軽い。夏の新製品にも、それに同類の商品は出て来ないことまで判った。永井さんが、隣の店の秤で、ブラウンを量って来てくれた。今のヨネックスよりは重いが、決めた。

 

こうして、僕のシューズは、ブランド・スイッチしていった。それも、三人の若い人から影響を受けたのだ。広告ではなかった。人の勧めだった。その人が嬉々として語る自信だった。おかげで、いま、ヨネックスのロングウオーカーは、ホワイト、ブラック、ブラウンと3足になった。

 

広告は、いま、カタログのように、名前とデザインと価格で済ませるだけの、荒っぽい姿を晒していて、人の気持ちを動かしているとは言いがたい。偶々、メーカーの広告担当似させられた社員が、社内役員にびくつきながら、彼らの嗜好に合わせて発信しているのではないかと思える程、力の無い表現を垂れ流している。企業のアイデンティティも薄ら呆けて、スローガンもキャッチフレーズも綺麗事過ぎて、社員の頭を通り抜けていく。

製品力より市場占拠率を争い、それでいて、何処の製品も似たようなスペックで、附加要素は、使い切れずに終わる。尻を叩かれて続けていた技術者たちは、狭小スペースに技術を凝縮させられ、無駄な金型を設計させられる。その挙げ句が、コストダウンである。永く使えない品質で、何を伝えようとしているのだろうか。それならば、高品質な商品を本来のユーザー、つまり、愛用している者からあれこれ聞き込んだ方が信頼できる。広告のダイナミズムは、香具師の口上とは違うのだから。

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