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「アジアクルーズ日誌」の一覧

アジアクルーズ出航11ヶ月前

投稿日: 2012年1月11日

地球を2周して、南太平洋を1周した。

我々がしてやれるうちに、息子家族も船に乗せてやろうと考えた。そして、台湾、沖縄へのニューイヤークルーズを終えた。

地球儀を回すと、行ってみたいところだらけなのだが、所詮それは無理なことだと解っている。

南米も南極も、アフリカ大陸も、既に僕の目からは、遠く霞んでいる。どうしても、回りたい大陸は、オセアニアだ。

しかし、飛行機嫌いになった妻は、フライト&クルーズには眼もくれない。

珍しく横浜~横浜のオーストラリア大陸一周の企画が出た。説明会にも出席し、即座に申し込んだ。

ところが、残念ながら、乗船客不足のため、催行が見送られてしまった。

 

アジア人である以上、せめて最後は、東南アジア諸国をしておこうと、

クルーズのゆたか倶楽部」(日本最初で最大のクルーズ専門旅行社)から届けられるクルーズ冊子とパンフレットを気にし出した。

、にっぽん丸からクルーズ企画が出てくるなら、デッキゴルフが楽しめるのだが、

なかなか、運航計画が出て来ない。飛鳥Ⅱとぱしふぃっくびいなすの船は出て行く。

業を煮やして、ぱしふぃっくびーなすでの「悠久のアジアクルーズ」に予約を入れる。

発表されたそのコースが下の図だ。

 

 

飛鳥Ⅱは当初から、候補から外していた。

理由は、船内での食事に、「減塩対応」をしてくれていなかったからだ。

飛鳥Ⅱでの世界一周の説明会に参加した折、何度折衝しても、答は変わらなかった。

この対応で、一番配慮が行き届いているのは、 にっぽん丸である。

塩分制限を受ける腎不全の自分が、最初のクルーズ船を決定づけるポイントとなった。

同伴する妻にとっても安心だった。以後、専ら、にっぽん丸が続いた。

はしふぃっくびいなすに家族全員で乗船することになった時、

船側は、料理のすべてのソースを別の小皿に添えてくれるということで納得した経緯がある。

 

毎年各社各船、ロング・クルーズの発表があるのは、出航のⅠ年前。桜 の散り始める頃だった。

新潟の菅井荘輔・美子夫妻に電話した。クルーズ仲間である。いわゆる「船友」。

陸では、新潟へ旅行したり、熱海に来て貰ったり、両者の中間となる湯沢で温泉に浸かったりして、交流している。

県の公園造園を担当してきた荘輔さんは、草花に強いだけではなかった。

リタイアしてからは、野菜作りに精を出し、いわゆる「ソウスケ・ファーム」を持っていた。

その荘輔さんの丹精込めた野菜類が季節ごとに、我が家に届けられるという有り難い関係も続いていた。

その日は、届いた唐辛子のお礼電話をしたのだが、電話の向こうから意外な言葉が飛びだした。

「私たちねえ、来年の世界一周に、行くことにしたのっ。荘輔が、塞ぎ込んでる私を解放してや ろうってね」

弾んだ声が漏れてくる。声の大きな美子さんがさらに大きいのだから、エコライザーの効いた声が響く。

母親の看病に長い間通い詰めていた美子さんは、亡くなられた後の精神的ストレスが相当に溜まっていたと聞いていた。

妻も、喜んで応えてい た。そして、続けた。

「ウチも、タカシがどうも、来年末が危なそうなの、透析になったらもう、乗れないからって、

最後に、アジアクルーズに乗ることにしたの。・・・・うううん、ぱしび。にっぽん丸より、少し大きいの」。

ぱしび」とは、船友同志の略語である。

しばらく、沈黙があったらしい。電話はそこで、通り一遍の挨拶で、切れた。


 

 

二日ほど経った。新潟から電話だった。

 受けた妻が、素っ頓狂な声で、驚きの声を張り上げて、それから、しんみりと、頷くばかり。 感極まっているようだ。

 「何かあったのか?」

 「うううん、美子さんたちが、行くって」

 「何処へ」

 「アジアクルーズ」

 「えっ?」

 「タカシ君が、最後なら、俺たちも一緒の乗ろうって・・・荘輔さんが・・・」

 言葉を反芻しているうちに、僕も目頭が熱くなった。唾を飲み込んだ。

 「・・・・うれしいでしょ、あなた。嬉しいわね・・・」 気を取り直して、弾んだ声で妻が言った。

 「タカシも喜んでいます。楽しくなるわあ・・・1ヶ月。ゆたかクラブ、予約した? ああ、これから・・・早くして・・・ね。

 ロープライスのキャビン、なくなっちゃうと・・・」

 

二度目の世界一周を予約したときは、新潟の温泉宿で、荘輔さんと秘かに決めたのだ。

 それに重ねる再びのドラマ。熱い気持ちに頭が下がった。今回のクルーズ、菅井夫妻にとって、ぱしびは初乗船となる。

 

こうして、僕のラストクルーズは、思いがけない同伴者が現れてくれたのだ。

 大学のゼミ生、呉 亭華にメールを入れる。

 寄港地の高雄は、彼女の実家である。どこか、洒落た茶館を教えて欲しいと。

 もう一つの寄港地、バンコック。ここには、博報堂時代の仲間がロングスティしている。

 水上マーケットとウイークエンドマーケットを妻に見せたいが、個人的にガイドが頼めるかどうかと打診のメールを打つ。

 ゆたかクラブへ、食事のための診断書の提出を打診。後日、提出をすることになった。

 同じ会員である菅井夫妻も近々予約をいれるので、船室宜しくとお願いすることも付け加えた。

 

ここからは、妻が寄港地を調べるという。いそいそと、部屋に引きこもって、盛んにプリントをし始めた。

 僕のすべきことは、クレアチニンの数値を上げないように、自制することだ。

 

クルーズの予約をすると、先に長い目標を持って生活するということでもある。

こうして、1月の下旬から、ミドルクルーズが始まる。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

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