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「アジアクルーズ日誌」の一覧

8日目 寄港地ハロン湾

投稿日: 2012年5月25日

20110131 ハロン湾

 

2時間遅れの時差のせいか、日本時間で6時には目が醒めていた。

早すぎる。再び目を閉じては見たが、妻も同じように目覚めていた。

 

ハロン湾の絶景は、入港投錨するまでが美しいのだと聞かされていたから、

寝過ぎてしまっては拙いという思いが頭に残っているのだ。

 

船室から海上を覗くと、朝靄なのか、曇り空のせいか、

墨絵とまではいかない、ぼーっとした曖昧な風景があるだけ。

奇岩の場所にはまだ入り込んでもいないようだ。

早朝尿を検査すると、6.0。

昨晩の料理の半分も口にしなかったのに、である。

クルーズの中の多くを占める贅沢な食事時間が、なんとも残念。

船側へ事前に提出した(腎不全のため、減塩食)診断書も、
さほどに効き目ナシか。

にっぽん丸のシェフの面倒見の良さに頭が下がる。

 

洗顔して奇岩を待つこと、20分。現れて来た。


奇岩が二個三個。その内、大きな山のような島も。

いよいよ、「海の桂林」らしい墨絵の風景になってきた。

9階の船尾に歩く。船首に向かえば、カメラを持った船客の姿が多いだろうが、

スポーツデッキに出れば、過ぎゆく風景がパノラマで見渡せると考えた。

やはり、誰もいなかった。

それよりも、予想外に風が冷たすぎて、妻は途端に涙目になっていた。

170mm の望遠レンズで捉えても、茫洋としている。

神秘的だと言えば神秘的だ。

瀬戸内海や宮城の松島から乗ってきた船客なら、どう評価するだろうか。


 

ハロンの意味は、龍の舞い降りた場所といういみだそうで、

ハロン湾は龍の背びれが水面に出ているように見える。漢字で書くと「下龍湾」。

中国がベトナムに攻め込んだとき、龍の親子が現れて敵を破り、

口から吐き出した宝石が、湾内の島々になって残ったのだという言い伝えがある。

大小3000もの奇岩がそれだ。

ベトナム北部のトンキン湾と言えば、米軍鑑の爆破事件があったことで有名だが、

ベトナム戦争下では、やはり、中国が南下した。

現在は、海底資源を巡って、大陸棚、領土問題が再燃し始めている。

龍は中国の皇帝だと、三亜のガイド、許さんが説いていた。

架空の龍同士の諍いくらいにしておいて欲しいものだ。

 

一旦、船内に入って、朝食を取る。今日は、トーストパンさえ外して、

目玉焼き(実は卵は1個の片眼焼きだった)と、少々のサラダ、

それに小皿にヨーグルト。フルーツも取らなかった。

最後に珈琲(今朝も、焦がしすぎの不味さ)で終えた。

メールの確認で、次男・州からにっぽん丸での事故が知らされた。

沖縄のバンド、アマゾネスのギタリストが、洋上で行方不明になったとか。

滑落か、自殺か。

今頃、ヘリコプター捜査の警察とのやりとり、記者団からの質問攻めなどで、

川野チーパーは大変だろう。北野さんからのメールからも、同じ事件が知らされた。

船内はまだ、話題になっていない。

チャンピオンになったアジアサッカーと、宮崎の新燃岳の噴火だけだ。

 

菅井夫妻は、最初のハロン湾遊覧船に乗るので、と下船した。

しばらく、ライブラリーで文春を読む。

昨日から読み始めた、クイネルの”クイーシィー”シリーズは、
まだ数ページしか進んでいない。

可児さんが、これから10時のハロン湾遊覧に出るそうだ。

遊覧船のサイズを見てみようと、8階のプロムナードデッキに出て見る。



にっぽん丸がテンダーボートで造る船着き場とは違い、

朝早くから、平船の木材を敷いた作業のお陰で、

多くの船客が9隻の遊覧船に吸い込まれていった。
遊覧船の船主は、思い思いの応接セットを甲板に設えて、
雰囲気を出している。

入港時の場所とは違う方面にコースを取ってくれるのだろうか。

小舟に、日常品から果物、土産品まで満載して、夫が舵を取り、

妻は、巧みに遊覧船に乗り移って、物売りに励んでいる。

そのなかに、幼い子供二人を乗せた母親の小舟が客船に近づいてきた。

 

デッキに向かって盛んに声を上げる。手にしたプラスティックの箱を何度も振っている。

そして、下に降りてこないかと、手を振り下ろす。手招く。

売り物はなにも小舟の中に見ることはなかった。意味が解らなかった。

もしかしたら、小銭を投げ込んでくれと頼んでいたのだわと、妻が解釈した。

昔、香港でこういう経験をしたことがあるという。

 

 

11時半になって、美子さんがライブラリーに入ってきた。

「ただいま~、寒かったああ」そう言ったきり、また消えた。

妻は、今回初めて、ジムに行って、歩いて来たようだ。

 

昼食は、焼きそば以外、塩辛くて食べられなかった。荘輔さんたちの姿はなかった。

冷えた身体に熱燗でも入れて、早くに済ませたんだろうと思っていたら、

美子さんがどこからともなく現れた。

遊覧コースは、やはり、別の奇岩を見せてくれたそうな。

モノ売りの小舟からは、果物を買わされた人が多かったが、

帰り着くときに船客の多くは、その果物を

買い求めた船の母親たちに戻してあげたようだ。

再び、その果物は、売り物になるだろう。形を変えた寄付のようなものになった。

彼らの自尊心も損なわず、いいことをしたのではないか。

ベトナムの通貨ドンではなく、米ドルで売買されたようだが、それもないというと、

「シェンエン(1000円)!!」の声を、此処でも 耳にしたという。

 

食後に、珈琲を飲みに、オープンバーへ歩いた。

廊下に出されてあった衣料の中に、妻の好きそうな、水玉風のものが見えた。

どうかと手が触れると、すかさず店員が走り寄ってきた。

羽織ってみたらどうかといったら、妻にそれは、どうやら、気に入られてしまった。

「買っていい?」もう駄目だとは言えなかった。今回は、観光ツアーを抑制している。

明日の夕食に着るといって喜んでいる。

 

ライブラリー(ぱしびでは、ライティング・ルームと称しいている)で、

しばらくクイネルの文庫本を読んでいた。

 

今日のアナウンスによる、気温14℃、最高気温15℃という通り、

本日、ベトナムの印象は、寒かった、の一言に尽きた。

 

14時、妻は7階のオープンバーにカプチーノを飲みに出た。

関本ヘッドウエイターにミルクで描いてもらう有料のアート珈琲である。

500円は技術料か。

午後の光が射してきたので、11階のデッキで、もう一度、奇岩を撮ってきた。

やはり、まだ寒かったが、

ステージダンサー達はジャグジーを楽しんでいた。

15時半、部屋で映画を観る。東映「火天の城」。

CM演出のミッチャン(田中光敏)2作目の監督作品。

1作目は、「化粧」だった。

朝からの繰り返し上映だが、どうも間が悪い。

16時からは8階で寄港地ツアー説明会がある。

ホーチミン、バンコック、シンガポール編だ。

これでクルーズ日程は、半分が過ぎる。

 

夕食は、フレンチのカツレツ。ソースではなく、黒酢で食べた。

 

20時15分から45分間のメインショーは、8階のメインホールで、

中国大黄河雑伎団による、旧正月に相応しく縁起のいい獅子舞から始まった


そして、二人の女性による売り物の演目「柔術コントウ」を観る。

アクロバットな演技は慣れているとは云え、船が横揺れしているのが、
バランスをとり続けるのに、かなりの体力が消耗しただろうと、気の毒だった。

それにしても、現地芸能の導入は、にっぽん丸の企画よりも的確で楽しめる。

 

部屋に戻って、「火天の城」の続きを観る。

ようやくにして、五層七階の安土桃山城の完成をみた。

主題歌「空が空」を歌ったのは、 中孝介。この独特な声質は、面白い。

沖縄から出た元(はじめ)ちとせの男性版だ。

 

カメラの電池の充電やら、明日のドル札を出すやら、大風呂へ行く時間が少なくなる。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

7日目 初寄港地 三亜

投稿日: 2012年5月5日

20110130 三亜(海南島)


午前零時、香港ビクトリア島沖合い南85kmを通過し、
就寝時には、既に海南(ハイナン)島の東沖に入っていた。
そして、起床した6時には、入港予定のヤーシェンまで来ていた。
海面はガスっているが、天気は悪くもなさそうだ。 
7時半、朝食に出る。
ツアーデスクには、自由行動をする船客用に寄港地の簡単なマップが用意されている。
三亜のマップは、僅か6枚しか残っていなかった。

<キャプテンアナウンス> 北よりの風、1m、気温は11℃、最高は25℃。
パイロット誘導で、8時40分、接岸予定とのこと。
三亜港は、ぱしふぃっくびーなす号にとって、初寄港となる。


港湾を遠望すると、右手の山頂に丸いレーダードームが、毅然と睨みを効かせている。
中央の人工島ターミナル辺りは、空に向かってオーバル型の特異なビルが建設中だ。
近づくと、やはりそれは、あのロンドン金融街に建つロイズ保険本社ビルにも、
また、東京モード学園のフォルムにも似て、斬新なフォルムだった。
今なら、建設中のビルトップの骨組みが見られる。
さすが観光リゾート都市に相応しい。
訪れる玄関口をシンボリックにデザインしている。 
プロムナードデッキで、村山さんに呼び止められた。
ネッカチーフを頭から被り、サングラスをしているから
彼女だとすぐには解らなかった。
初寄港地の記念だからと、写真を撮ってあげた。

やがて接岸した。初寄港地にしては、静かな入港となった。
歓迎のセレモニーは無かったが、ポートビルの横幕には、
「熱烈歓迎、維納斯」「太平洋ベナス」とあった。
なるほど、「ビーナス」ではなく「べナス」か。
耳からは確かにそう受け止められるのだろう。


英語教育は、こうでなくてはいけないな、それを見ながら、船客と感心し合った。
「ワラー、ワラーの方が通じるんだよね」と笑う。 
「パラオでは、バラクーダーを釣ったよ」という、
旅行慣れした船客が水平線に眼を細めながら、語っていた。
  場違いな発言に、連れの男性は顔を見合わせながら、困っていた。

デッキでの体感温度は、ポロシャツでは少し肌寒いのだが、日射しは強そうだ。
今日は、ネットジャケットの背中のポケットに水を入れて、
リュック無しで出掛けることにした。 


「フェニックス・アイランド(鳳凰島)」。三亜の人工島は、こう呼ばれていた。
ポートビルの1階には、不動産企業が分譲予約のために
フェニックス・アイランドのモックアップがディスプレイされてあった。
イミグレを出たところには、なぜかポルシェ・カレラが5台駐車してあり、
高級リゾート感を演出している。
中国最大の海軍港が、2年もすれば、華やかな観光港になるのだろうか。 


シャトルバスは、長い橋を渡って市中に入った。
カタマランヨットと水上生活者の船群、その背後に聳える高層マンション。
貧富の格差が、強烈なコントラストを見せつけてくれる。

現地ガイドは、梨桃さんという男性。年間25~6℃で、
「僕は、いつも半袖をハイテイマス」と。
丁寧に説明してくれているから、その日本語に誰も笑わったりしない。

10月から3月中旬までが観光客のラッシュで、それ以外がオフシーズン。
島には1万人のロシア人が居住している。最大の観光客は、ロシア人で、10万人。
次が日本人、韓国人と続く。 

大東海の海浜から、更に東の亜龍湾にかけては、
ビーチゴルフとサンバレーゴルフの2つが、
国際レベルのゴルフ場で、日本人のゴルファーも多く訪れるという。
そういえば、船客も二人の男性が、ゴルフバッグを肩にして下船した。 



今の問題点は、富裕族と一般人との経済格差の広がっていることだと梨さん。
説明に寄れば、2003年、ここ三亜で、ミスワールド・コンテストが開催されて以来、
観光客の増加が続き、経済的発展も急激に高まったそうだ。 

「時代海岸」という看板のマンションを見ながら、梨さんが説明する。
昔、1㎡の価格は3000元ほどだったのだが、今では7倍近い、
20000元にまでなっている。
新卒の給与が2000元で、家賃は300元から800元に高騰した。
これまで1ヶ月1000元で暮らせたのに、いまでは1500元はどうしても要る。
医療、教育費を考えると、農村から出ての都市生活はかなり難しい。
農民で癌などの病気になると、ただもう、死を待つだけになる人も多いのだと。
この格差が、いま一番の課題ですと、素直に現実の中国の抱える問題を指摘した。


港から町への風景が、物語っていた。
因みに、中国元は、約14円である。
置き引きやスリには注意して欲しいと付け加えられた。 

ドラゴンのように長い列がつながる車の渋滞も問題ですといいながら、
ノロノロ状態を申し訳なさそうに小さな瓢箪の楽器(フールース)を取り上げた。
黙って梨さんがメロディを吹きだした。
瓢箪からの音色が終わった時、乗客は、それまでの彼女の胸の内を励ますように、
拍手した。 


家族を載せた4人乗りのバイクも、やはり当たり前のように危なかしく、走っている。
舗道は、やはりゴミひとつ落ちていない。

数分で、シャトルバスの発着場になるサンヤ・パール・リバーガーデン・ホテル、
(三亜珠江花園酒店)に着いた。


例によってトイレを確認して、大東海の浜に出てみる。 
気温26℃、東北の風3~4m、水温21℃、波の高さ1mと,
掲示板は教えてくれている。ポロシャツの半袖で、寒くはなかった。
軒を連ねた売店で売られている水着のビキニは、▼ではなく、スカート付きだ。


リゾートビーチらしく、有料の藁葺き傘の下に長椅子がずらりと並んでいる。
沖に出て遊ぶ者には、救命胴衣を貸し出している。
ライフセーバーの見張り台があるが、それらしいユニフォームは着込んでいなくて、
双眼鏡を目に当てるでもなく、
浜を見るでもなく、タバコをくゆらせている。頼りない。


イスラム系の女性たちは、砂浜でアクセサリーの店を広げている。
紙凧屋は、のんびりと空に連凧をなびかせている。
沖は、ジェットスクーターが、
我が者顔に白波を蹴立てている。
カメラに収めようとしても、
日本の海岸となんら変わらない風景だ。



花市が開かれていると言う公園までは遠いので、
缶ビールの買えそうな店を覗いて歩く。
梨さんから教えられたように、この町は、
ロシア文字があちこちに大きく多く見られた。


ソ連の軍事顧問団が海軍を教練した名残りか、それとも、
最近のロシア戦艦を航空母艦に改造したのを契機に交流が高まったのか、
眼にすればするほど、米ソ中の軋みで、日本が気になる。


本来の外資ホテル群が林立する海岸線は、更に奥に位置するため、

我々の自由散策では、足が伸ばせない。
つまり、観るべきものがないので、帰船することにした。
シャトルバスの帰り第1便が、11時30分だったことに気付き、
ホテルまで急ぎ戻る。
ビールの買い出しが思うに任せなかった菅井夫妻は、
昼食後に再び街へ戻ることにした。


帰路のシャトルバスもガイドは梨さん。入江のマングローブの中に白い鳥が目に入った。
白鳥だという。日本では寒い地方に飛来するのだが、温暖な海南島には、
これより多くが見られる白鳥公園があると。
また、2006年、中国4番目の宇宙ロケット発射場として文昌市が有名になったが、
ここは、教育レベルも高く、この文昌市の言葉が、海南島の標準語となっているそうだ。 

船での昼食は、豚の焼き肉だったが、SPカードの僕にも、
そのまま醤油だれで焼いたものが供された。
塩分がきついなと、半分で食べるのを止めた。 

食後は、妻は、昼寝をするために横になった。

サッカーの結集戦の結果は、どこからも聞かれないままだ。
勝ったのだろうか?
 アモイも三亜もそうだが、入出国いずれの時も手荷物の検査はナシだったのは、
何故だろうか?
・・・・・・・・・・・・・ 


中国のハワイと言われるだけに、
まだまだ最先端の憧れの島の本当の姿は知らないままになった。
海南島という、中国最南端の島は、たしかTVドラマ「五星大飯店」でも、
ロケ場となったリゾート地だったが、
我々は、そのほんの足元、爪ほどを触っただけで去るのだ。
言ってみれば、横浜中華街から関内周辺を歩いただけで、
高層ビル群のショッピングエリア、
「港みらい」を知らないままに似ている。 

離岸出港は、予定より早めの17時50分になった。
ベトナムに向け南下するが、北東の風で、時折、船が揺れるかも知れないと、
キャプテンアナウンスがあった。 

日本時間19時のNHKのニュース。
日本の鹿児島では、霧島連山・新燃岳の噴火灰が、
鳥インフルのために散布した消毒液を無効果にしてしまって、
二重苦である。
退任したばかりの東元知事は、どういう心境だろうか、
コメントは何も報道されていない。

エジプトの反ムバラクデモにより、
日本人観光客が2000人滞在しているという
ニュースもあった。
警察から軍へ切り替えて市内の治安を
コントロールしているというが・・・。
  大統領が次男に権力を引き継ごうとしたことへの反発だ。 

29日のアジアサッカ大会は、日本が2大会ぶりのチャンピオンになったと、
NHKがようやく伝えてくれた。
延長戦で、leeがゴールを決めたようだ。

19時、夕食に出る。和食だったので、
白飯の上にかけるレトルトの病院食を持ち込んだ。
塩分制限のある事情を理解して湯煎してくれた。
船内新聞によれば、「宮崎、鹿児島、愛知で飼養されている鶏について、
当船に積載されている鶏肉は、ずべて発生以前に積み込まれたもので、
安全が確認済みである」と書かれてあった。 


菅井夫妻は、やはり、シャトルバスでビールを買い出しに往復していた。
スーパーマーケットも百貨店も覗いたらしく、
ビールは二人で30本近く買い込んで、かなりの重荷になったと笑った。
上手く買い物をして、残金は2元だけにしてきたという。 


21時からのシアターは、ジョニー・ディップの
「アリス・イン・ワンダーランド」が上映される。
これも、にっぽん丸に比べて、随分と新しい映画を見せてくれる。
上映の理由が解った。

 

ワンダーランドから現実の世界に戻った
アリスが、
貿易のため、映画のラストシーンが、
中国への船出だったからだ。


見終わった時間、船は、大きく横揺れを繰り返し始めた。


22時45分。北緯18°42.80“、東経108°57”。
速度、16.5ノット。
船はトンファン(東方)沖合いからトンキン湾を北上している。 

早いもので、横浜を出航して、1週間が過ぎようとしている。
今晩、時計をまた1時間遅らせる。日本時間との差は2時間となる。 

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

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