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アジアクルーズ日誌

7日目 初寄港地 三亜

投稿日: 2012年5月5日

20110130 三亜(海南島)


午前零時、香港ビクトリア島沖合い南85kmを通過し、
就寝時には、既に海南(ハイナン)島の東沖に入っていた。
そして、起床した6時には、入港予定のヤーシェンまで来ていた。
海面はガスっているが、天気は悪くもなさそうだ。 
7時半、朝食に出る。
ツアーデスクには、自由行動をする船客用に寄港地の簡単なマップが用意されている。
三亜のマップは、僅か6枚しか残っていなかった。

<キャプテンアナウンス> 北よりの風、1m、気温は11℃、最高は25℃。
パイロット誘導で、8時40分、接岸予定とのこと。
三亜港は、ぱしふぃっくびーなす号にとって、初寄港となる。


港湾を遠望すると、右手の山頂に丸いレーダードームが、毅然と睨みを効かせている。
中央の人工島ターミナル辺りは、空に向かってオーバル型の特異なビルが建設中だ。
近づくと、やはりそれは、あのロンドン金融街に建つロイズ保険本社ビルにも、
また、東京モード学園のフォルムにも似て、斬新なフォルムだった。
今なら、建設中のビルトップの骨組みが見られる。
さすが観光リゾート都市に相応しい。
訪れる玄関口をシンボリックにデザインしている。 
プロムナードデッキで、村山さんに呼び止められた。
ネッカチーフを頭から被り、サングラスをしているから
彼女だとすぐには解らなかった。
初寄港地の記念だからと、写真を撮ってあげた。

やがて接岸した。初寄港地にしては、静かな入港となった。
歓迎のセレモニーは無かったが、ポートビルの横幕には、
「熱烈歓迎、維納斯」「太平洋ベナス」とあった。
なるほど、「ビーナス」ではなく「べナス」か。
耳からは確かにそう受け止められるのだろう。


英語教育は、こうでなくてはいけないな、それを見ながら、船客と感心し合った。
「ワラー、ワラーの方が通じるんだよね」と笑う。 
「パラオでは、バラクーダーを釣ったよ」という、
旅行慣れした船客が水平線に眼を細めながら、語っていた。
  場違いな発言に、連れの男性は顔を見合わせながら、困っていた。

デッキでの体感温度は、ポロシャツでは少し肌寒いのだが、日射しは強そうだ。
今日は、ネットジャケットの背中のポケットに水を入れて、
リュック無しで出掛けることにした。 


「フェニックス・アイランド(鳳凰島)」。三亜の人工島は、こう呼ばれていた。
ポートビルの1階には、不動産企業が分譲予約のために
フェニックス・アイランドのモックアップがディスプレイされてあった。
イミグレを出たところには、なぜかポルシェ・カレラが5台駐車してあり、
高級リゾート感を演出している。
中国最大の海軍港が、2年もすれば、華やかな観光港になるのだろうか。 


シャトルバスは、長い橋を渡って市中に入った。
カタマランヨットと水上生活者の船群、その背後に聳える高層マンション。
貧富の格差が、強烈なコントラストを見せつけてくれる。

現地ガイドは、梨桃さんという男性。年間25~6℃で、
「僕は、いつも半袖をハイテイマス」と。
丁寧に説明してくれているから、その日本語に誰も笑わったりしない。

10月から3月中旬までが観光客のラッシュで、それ以外がオフシーズン。
島には1万人のロシア人が居住している。最大の観光客は、ロシア人で、10万人。
次が日本人、韓国人と続く。 

大東海の海浜から、更に東の亜龍湾にかけては、
ビーチゴルフとサンバレーゴルフの2つが、
国際レベルのゴルフ場で、日本人のゴルファーも多く訪れるという。
そういえば、船客も二人の男性が、ゴルフバッグを肩にして下船した。 



今の問題点は、富裕族と一般人との経済格差の広がっていることだと梨さん。
説明に寄れば、2003年、ここ三亜で、ミスワールド・コンテストが開催されて以来、
観光客の増加が続き、経済的発展も急激に高まったそうだ。 

「時代海岸」という看板のマンションを見ながら、梨さんが説明する。
昔、1㎡の価格は3000元ほどだったのだが、今では7倍近い、
20000元にまでなっている。
新卒の給与が2000元で、家賃は300元から800元に高騰した。
これまで1ヶ月1000元で暮らせたのに、いまでは1500元はどうしても要る。
医療、教育費を考えると、農村から出ての都市生活はかなり難しい。
農民で癌などの病気になると、ただもう、死を待つだけになる人も多いのだと。
この格差が、いま一番の課題ですと、素直に現実の中国の抱える問題を指摘した。


港から町への風景が、物語っていた。
因みに、中国元は、約14円である。
置き引きやスリには注意して欲しいと付け加えられた。 

ドラゴンのように長い列がつながる車の渋滞も問題ですといいながら、
ノロノロ状態を申し訳なさそうに小さな瓢箪の楽器(フールース)を取り上げた。
黙って梨さんがメロディを吹きだした。
瓢箪からの音色が終わった時、乗客は、それまでの彼女の胸の内を励ますように、
拍手した。 


家族を載せた4人乗りのバイクも、やはり当たり前のように危なかしく、走っている。
舗道は、やはりゴミひとつ落ちていない。

数分で、シャトルバスの発着場になるサンヤ・パール・リバーガーデン・ホテル、
(三亜珠江花園酒店)に着いた。


例によってトイレを確認して、大東海の浜に出てみる。 
気温26℃、東北の風3~4m、水温21℃、波の高さ1mと,
掲示板は教えてくれている。ポロシャツの半袖で、寒くはなかった。
軒を連ねた売店で売られている水着のビキニは、▼ではなく、スカート付きだ。


リゾートビーチらしく、有料の藁葺き傘の下に長椅子がずらりと並んでいる。
沖に出て遊ぶ者には、救命胴衣を貸し出している。
ライフセーバーの見張り台があるが、それらしいユニフォームは着込んでいなくて、
双眼鏡を目に当てるでもなく、
浜を見るでもなく、タバコをくゆらせている。頼りない。


イスラム系の女性たちは、砂浜でアクセサリーの店を広げている。
紙凧屋は、のんびりと空に連凧をなびかせている。
沖は、ジェットスクーターが、
我が者顔に白波を蹴立てている。
カメラに収めようとしても、
日本の海岸となんら変わらない風景だ。



花市が開かれていると言う公園までは遠いので、
缶ビールの買えそうな店を覗いて歩く。
梨さんから教えられたように、この町は、
ロシア文字があちこちに大きく多く見られた。


ソ連の軍事顧問団が海軍を教練した名残りか、それとも、
最近のロシア戦艦を航空母艦に改造したのを契機に交流が高まったのか、
眼にすればするほど、米ソ中の軋みで、日本が気になる。


本来の外資ホテル群が林立する海岸線は、更に奥に位置するため、

我々の自由散策では、足が伸ばせない。
つまり、観るべきものがないので、帰船することにした。
シャトルバスの帰り第1便が、11時30分だったことに気付き、
ホテルまで急ぎ戻る。
ビールの買い出しが思うに任せなかった菅井夫妻は、
昼食後に再び街へ戻ることにした。


帰路のシャトルバスもガイドは梨さん。入江のマングローブの中に白い鳥が目に入った。
白鳥だという。日本では寒い地方に飛来するのだが、温暖な海南島には、
これより多くが見られる白鳥公園があると。
また、2006年、中国4番目の宇宙ロケット発射場として文昌市が有名になったが、
ここは、教育レベルも高く、この文昌市の言葉が、海南島の標準語となっているそうだ。 

船での昼食は、豚の焼き肉だったが、SPカードの僕にも、
そのまま醤油だれで焼いたものが供された。
塩分がきついなと、半分で食べるのを止めた。 

食後は、妻は、昼寝をするために横になった。

サッカーの結集戦の結果は、どこからも聞かれないままだ。
勝ったのだろうか?
 アモイも三亜もそうだが、入出国いずれの時も手荷物の検査はナシだったのは、
何故だろうか?
・・・・・・・・・・・・・ 


中国のハワイと言われるだけに、
まだまだ最先端の憧れの島の本当の姿は知らないままになった。
海南島という、中国最南端の島は、たしかTVドラマ「五星大飯店」でも、
ロケ場となったリゾート地だったが、
我々は、そのほんの足元、爪ほどを触っただけで去るのだ。
言ってみれば、横浜中華街から関内周辺を歩いただけで、
高層ビル群のショッピングエリア、
「港みらい」を知らないままに似ている。 

離岸出港は、予定より早めの17時50分になった。
ベトナムに向け南下するが、北東の風で、時折、船が揺れるかも知れないと、
キャプテンアナウンスがあった。 

日本時間19時のNHKのニュース。
日本の鹿児島では、霧島連山・新燃岳の噴火灰が、
鳥インフルのために散布した消毒液を無効果にしてしまって、
二重苦である。
退任したばかりの東元知事は、どういう心境だろうか、
コメントは何も報道されていない。

エジプトの反ムバラクデモにより、
日本人観光客が2000人滞在しているという
ニュースもあった。
警察から軍へ切り替えて市内の治安を
コントロールしているというが・・・。
  大統領が次男に権力を引き継ごうとしたことへの反発だ。 

29日のアジアサッカ大会は、日本が2大会ぶりのチャンピオンになったと、
NHKがようやく伝えてくれた。
延長戦で、leeがゴールを決めたようだ。

19時、夕食に出る。和食だったので、
白飯の上にかけるレトルトの病院食を持ち込んだ。
塩分制限のある事情を理解して湯煎してくれた。
船内新聞によれば、「宮崎、鹿児島、愛知で飼養されている鶏について、
当船に積載されている鶏肉は、ずべて発生以前に積み込まれたもので、
安全が確認済みである」と書かれてあった。 


菅井夫妻は、やはり、シャトルバスでビールを買い出しに往復していた。
スーパーマーケットも百貨店も覗いたらしく、
ビールは二人で30本近く買い込んで、かなりの重荷になったと笑った。
上手く買い物をして、残金は2元だけにしてきたという。 


21時からのシアターは、ジョニー・ディップの
「アリス・イン・ワンダーランド」が上映される。
これも、にっぽん丸に比べて、随分と新しい映画を見せてくれる。
上映の理由が解った。

 

ワンダーランドから現実の世界に戻った
アリスが、
貿易のため、映画のラストシーンが、
中国への船出だったからだ。


見終わった時間、船は、大きく横揺れを繰り返し始めた。


22時45分。北緯18°42.80“、東経108°57”。
速度、16.5ノット。
船はトンファン(東方)沖合いからトンキン湾を北上している。 

早いもので、横浜を出航して、1週間が過ぎようとしている。
今晩、時計をまた1時間遅らせる。日本時間との差は2時間となる。 

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6日目 広州沿岸航行

投稿日: 2012年5月2日

20110129 広州沿岸



午前9 時からベトナム入国のオリエンテーションが 8階の雨天体操場、
いやメインホールで行われた。
中国入国時、本来ならアモイで対面審査が行われる予定だったが、今回それは免除された。
同じく、次の寄港地、三亜(サンヤ)でも、簡略化されることになったとのこと。

終わると9時半からブリッジ(操舵室)見学があったり、、10時からは中国茶教室、中国切り絵教室、
 ドメモやウノの数字推理ゲームも始まるし、ダンスの初級教室もあるから大変だ。
入国オリエンが全員参加であるのに、片側だけにされている出口が混み合う。
エレベーター前も人が溜まる一方だからと、足の弱っていない人は階段で降り出した。

「洋上プレミアムシアター&舞台挨拶」という大袈裟なタイトルの6階のシアターに寄ってみる。

映画だと思って見に来る客もいるが、
これは、国際放映が制作したテレ朝局の「法医学教室の事件ファイル」というTVドラマだ。
はしびが舞台になっている。
ところが、パートパートで白ける。CM挿入のためのクレジット部分が、
黒味で無音の静止画像を見続けさせられること、 10回。最初はざわついたが、
次第に観客も、それがCMのためであることに気付き始めた。
局からの借り物で編集出来ないものか、首を傾げたものだ。
上映回数が3回あるが、文字通り、白けながら観客は見ることになる。
西丸與一シップドクターが原作者であることから、最終上映の21時には、舞台挨拶がある。
彼は、「何にも船員」と自嘲的に言っては笑わせているが、
船内カルチャースクールの校長を名誉職として委託されている。 

妻は、9階のコンファレンスルームへ、荘輔さんと中国切り絵教室に出掛けた。
一心不乱というか、集中力を落とさなかった荘輔さんに、講師の谷田有似さんが感心したそうだ。
切ったのは、今年の干支、兎だった。 


8階の「手旗教室」が終わったらしい。レストランに列ができていた。
香港からマカオ沖を通過したのが、昼食時。海面には、強い日射しが出始めている。
 テーブルは、また、村山・可児さんと同じになる。
話の中で、仲の良い二人が共にシングルだと初めて教えられた。
クルーズ好きなことから、船旅で知り合った同卿人の話になった。
03年から06年時、にっぽん丸組の、美濃太田の女医さんと息子さんの話が出てきた。
にっぽん丸では、「愛知県人会」などを呼びかけたが、
このぱしびには、名古屋弁の訛りを耳にすることがまだ少ない。

 
キャビンに戻ると、フロントの竹内さんからのメッセージが入った。
訊いてみると、BKK港は面倒なことになった。
タクシー以外の車、また乗船カードを提示できない人の車は、
接岸埠頭まで車は進入出来ないことが判明したのだ。
初日の日曜日は、シャトルバスで伊勢丹まで行ける、石沢君と待ち合わせる、
だから帰路はタクシーなら、埠頭まで入り込める。
この時、土産の日本酒とくさやを手渡すことは出来るのだが、 
2日目の早朝、迎えの車が入って来れないとなると、ゲイトまで約2キロの倉庫街を歩くことになった。

つまり、 2キロ先で石沢君の車は待つしかない。その帰りも、ゲイトから 2キロ、船まで歩くのだ。
これでは、初日に、石沢君を船内に入れて珈琲も飲ませられないかも知れない。
ところが、そのことよりも前に、埠頭に来ることもないドライバーは、
そのロケーションが判らないときている。弱った。
フロントに出掛けながら、苦笑する。若い竹内さんと、こんな事で面倒かけながら、
親しくなるのもまあ仕方がないか。 

 7階のピアノサロンでは、寄港地「ベトナム」クイズが行われているのを横目で、8階に上がった。
太極拳の3日目だが、どうにも、教え方が大雑把。ホワイトボードにでも、
ステップ図を描いてくれればと思う。どこかで本を買って憶えることにしよう。
ステップの説明が解りにくいからだ。 45分間の途中で脱落。メールを確認に行く。
そして、船内発信のメールが、中国沿岸を航行している関係上、
通信規制地域になり22時に中断することを伝える。

 妻は、ランドリールームを何度も往復し始めた。
そろそろ、防寒下着やパジャマを洗う時期になったからだ。
僕はといえば、夕食事に履く革靴用のソックスも迂闊にも忘れた。
フォーマル用のソックスを洗濯しながら履いている。


 夕食は、ロースの陶板焼き。おろしポン酢を持参の黒酢に入れ替えて見たものの、
肉が硬すぎて半分で食べるのを止めた。 

食後のメインショーは、2回目の曹雪昌さんの二胡とピアノチェロだが、
パスして、「ウインド オブ メコン」で珈琲を飲む。 
此処のコーヒーは、にっぽん丸より、飛鳥より、美味しいのだ。

 22時前にメールを確認に、パソコンルームへ行く。
石沢君からパスポートナンバー、アドレス他を受信できた。
その足で、船内訪問の許可申請をフロントに提出できた。 
 
今晩は、アジアサッカー決勝中継の日だが、果たして映像受信可能か。
パソコンを畳んでシャワーを浴びる。

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