続クルーズ日誌

060605 大西洋7

投稿日: 2013年9月30日

060605

昨夜はメインショーをキャビンでTV中継を見ていたのだが、体を横にしたら、終わりまでは目を開けていられなかったようだ。 すぐ眠りに落ちたのだろう。だから、彼女たちのオリジナル曲「世界一周の歌」は、聴けずじまいだった。 目覚めたのが25時。いつもなら、まだ、起きている時間である。揺れが大きくなっていた。 だからといって、起き上がってPCを打ち込む気力も、文庫本を読む気もなく、また目を閉じた。左肩と腕がまだ痛むので、身体を右に向けて眠る。

再び4時に目覚めた。夢を見ていたが、思い出せない。

5時30分、ローリングしている。太陽は既に、船の右舷後方に上がっている。水平線のすぐ上は雲に覆われているのだが、上空には青みが多い。晴れるか。

6時50分、廊下を行き交う人の挨拶が聞こえてきた。水平線はくっきりとして、雲が白く立ち上がり、天空は青空が広がってきた。揺れは、まだ収まらない。 キャビンの狭いトイレで用を足すにも、バーを握っていないと危ない。ドレッサーの前に置かれた妻の目覚ましが鳴っている。

朝食には8時前に入った。最近は、八点鐘を食堂で聴くことが増えている。 八点鐘の鐘を希望する船客が叩いているのだが、毎朝その叩きっぷりをキャプテンが言葉を添えて褒めているのが笑いを誘う。 いや、キャプテンは、苦心しているのではないかと思う。続いて流れるキャプテンのコメントを松田さんは、目をつむって聴いている。 僕は、走り書きをする。朝食を終えてしまった菅井荘輔さんは、キャビンでそれをメモる。 東さんは、それを聴き終えてから、立ち上がって朝食のトレーを取りに行く。 キャプテンのアナウンスに拍手する人もいる。様々な朝だ。

八点鍾『にっぽん丸は現在、ニューヨークの東、360海里(667km)を航行中です。

波がいろいろな方向から来ており、小型船のような周期の早い揺れになっています。あまり気持ちの良い揺れではありませんが、徐々に静かになってゆきます。 

この波は、ボストンの北東側にあった低気圧に南風が吹き込み、うねりが生じたものです。すでに低気圧は昨晩過ぎ去り、大陸から高気圧が張り出してきていますので、お天気は回復してゆきます。 

このような揺れを感じていると、今から約400年前にイギリスのプリマスを出港した、102名の移住者を乗せたメイフラワー号を思い出します。 メイフラ ワー号はバージニア州に向かっていましたが、悪天候によりニューヨークの北、マサチューセッツ州のプロビンスタウンに到着しました。 

その約130年前の1492年にコロンブスがサンサルバドル島に上陸して、新大陸発見!と勘違いをしました。 今から何百年も前に、西に新しい新天地を求めて航海をしてきた人達に思いを馳せて、本船はニューヨークに向かっています。 

明朝06:00にハドソン川の河口で水先案内人を乗船させて、09:00にニューヨークに入港します。入港1時間前頃に「自由の女神」や、その昔移住者が到着すると検査の為に上陸させられたエリス島が見えてくるでしょう。 お天気は回復してゆきます。』

高嵜さんが、ニューヨークのサークルクルーズ船は30分間隔だということ、半周のクルーズ船は、イーストリバー側からだと言うことを教えてくれた。

ガイドブックだと、半周クルーズも同じハドソン川から出ていることになっていた。

朝風呂帰りの藤川さんを捕まえた。「1日ツアーで帰船した後の18時30分に、税関出口にタクシーは呼び寄せられますか? サークスクルーズ船のタイムスケジュールが判れば知りたいのですが。着岸した埠頭から、観光船発着場まで歩いて危険はないか?」「調べておきます」

デッキゴルフコースを使う朝の時間が、我々メンバーに解放された。新しい人が参加すると「教える」役の黒川君が、なにかと気遣って大変だと思ってはいたが、 船側の星野、蘇、黒川会談の結果、初心者への手ほどきは午後からの時間帯へ変えましょうかと高嵜さんに打診があったという。 いい打開策だと思う。ダンス教室と重なって、プレイしたいが出来ない、そういう方々が多いと思うからだ。 我々のメンバーの中にも、9時からダンスの横田さんと、10時からの高橋さんは、互いがメンバチェンジして行く。

これで、午前のデッキゴルフは教室ではなく、同好会の時間としてもらえたのだ。 従って、9時のプレイから、「ホールイン・ワイン」は、実効となった。

白先攻は、高嵜、萩原、西出、工藤、山縣。赤は管井、菅谷、松田夫妻、中島。

リーグ優勝決定戦の日であるから、僕の2試合目はない。右肩、右手、右足の問題をどうクリアするかの練習だけをして、丁寧な打ち方を心がけたい。 そう密かに思い、打ち出したら、ミスは思いの外、多くなく、1,2,4を順調に抜け出し、しかも、味方を助けながら、早くに権利玉になれた。なんと楽な動きか。 肩の痛みは気づかれてはいない。早く湿布を貼り替えたい。同点上がりだが、権利玉の多い白が勝ちとなった。

10時05分からは、B(関西支社)対C(関東支社)の優勝戦が始まった。 高嵜さんの調子より、松田さんの方が上回っていたのだが、ナイスチョット松田が、2の帰り道3に向かう前にドボンされ、苦戦。 スイスイ工藤が、スイスイ行かず、焦りから何度もスカを繰り返すという状況。惜しまれるショットが数多く見られた。 本間さんのケアにロングシューター松田が孤軍奮闘。それでも、最後は面白い展開になった。 高嵜独りに対して、工藤、本間、松田のせめぎ合い。頭脳ゲームである。 詰め将棋。本間さんを安全に上げさせられるため、高嵜を追い落とすチャンスを工藤さんが焦り、高嵜さんは中央で、失敗して集まる頃合いを蛇のようにじっと我慢した。 目玉球の休憩が解けた時、中央への踏み石が出来、ゴールした。 ナイスチョット松田をドボンから助け出せない4コーナーでの攻防が勝敗を決したものと思う。

Cチーム高嵜、Bの松田、Aの萩原と戦績順位は、年功序列になってしまった。

賞品を買って、ニューヨークを出航した夕方に、リドデッキで表彰式をすることになった。

今夕は、妻は、高嵜部屋で菅井夫妻とアペリチフを飲み会をするとか。戦勝祝いだと高嵜さんが、ウインクした。敗戦の将語らず、だ。

シャワーを浴びたくなるような汗ばんだ日は、何日ぶりだろうか。暑くなってきた。

昼食はエリー担当の奥座敷で、そうめんを食する。ご飯はやめて素麺をお代わりした。窓の外が騒がしい。 まんぼうが海面に出てきたと、美子さんが駆け込んできた。望遠レンズを持たないデジカメの人は、右往左往しているだけだった。

NYでのMET(メトロポリタン美術館)が観光客で行列するという情報を得た。 絵を見るより、生きた街を見歩く方が時間価値は高いな、と考えた。絵や彫刻は、機会があれば、上野西洋美術館へ来るかも知れないし、例え門外不出の作品でも、書籍ビデオという手がある。 しかし、生きた街は移り変わる。自分の目で見て肌で感じてこそ、観光だと思うので、ニューヨークで暮らすサムに訊いてみた上で、2日目の行動を練り直すことにするよ、と美子さんには伝えた。

宮崎先生の講義は、最終回。「海からの世界史・ラッコと鯨の海」。

ロシアのピヨトールⅠ世が、北極経由で中国・インドとの貿易ルートを得るために、アジアとアメリカ(後の国)が陸地続きであるのかどうかを、 海軍勤務のデンマーク人・ベーリングに下命し、陸続きではないことを知る。 そして、さらに、アメリカ大陸の海岸線探査と航路開拓を下命。 彼は、帰路、ベーリング島(後の命名)で死亡してしまうが、その島が黒テンよりも良質な毛皮採取となるラッコの飼育圏であることが判った。

一方、日本人船長・伊勢の大黒屋光太夫が、紀伊から江戸への回船で暴風雨に遭い、七ヶ月後にアリューシャン列島のアムチカ島で、ラッコ猟のアリュート人に助けられた。

ラッコの毛皮貿易の代わりに生鮮食品を得たいロシアは、大黒屋光太夫を介して日本との国交を計ろうとした。 ロシア全権大使を伴って根室に到来し、幕府の要請で松前藩に交渉したが拒否され、その後、長崎入港許可証を手に入れた。 ロシアとアメリカの合弁会社、露米会社の支配人レザーノフが、フィンランド湾から大西洋を南下しホーン岬を回って長崎に到来したが、幕府は彼を半年間隔離の後に退去を命じた。 それを不満としてレザーノフは、皇帝の許可を得ず独断で、松前藩の守る樺太、択捉と利尻を攻撃することになった。その後、幕府は警護体制を強化すると共に、 今度は幕府が、勢力範囲を調査する目的で間宮林蔵を派遣し、アムール川下流にまで辿り着き、樺太との間に海峡(後の間宮海峡)があることを発見する。

幕末の日本に開国を迫ったロシアとアメリカに、こうした領土問題が横たわった。

16時、1階のシアターで観た映画は「映像で知るジャズの歴史、大恐慌とジャズ」。

1929年の大恐慌で荒んだアメリカ国民を癒したのは、ラジオから流れる無料の音楽だった。 そして、ルイ・アームストロング、ベニーグッドマン、カウントベーシーの曲が生まれていった。

17時30分からは、焼酎持ち込みで高嵜ルームにお邪魔した。塩分抜きのおつまみで、ビールやワインを空けてしまった。 四人の高笑いは、おそらく、廊下を歩く人に聞こえる程、騒がしかったことだろう。

ダイニングには、限度ぎりぎりの19時に滑り込んだ。 既に、僕の特別食はセンター奥のテーブルに置かれていた。ここへ菅井夫妻も含めて、6人席を作ってもらった。 先ほどの空気の延長だった。誕生日でも結婚記念日でもない、キャプテンも来ないテーブルなのに、盛り上がっていた。

山縣さんが我々の旅行記の本を買いたいのだが、と妻に打診したという。部屋で手持ちの本を探したら、サムへの土産用に1冊と予備1冊だった。ほっとした。

ライブラリーで読まれた他の船客からも、船内の売店で売ってくれるといいのにと何度言われてしまう。 嬉しい反応だが、こういう声が大きくなったら、果たして、置いて貰えるのだろうか。 国内線クルーズの売店販売となっても、近い将来のワールドクルーズへの潜在顧客を啓蒙することができれば、 商船三井客船にも陰のPR誌になると思うのだが・・・。

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