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「あの時の、あのこと」の一覧

48年目の同窓会1

投稿日: 2011年11月15日

 2010年、12名が16年ぶりに向かったのは、日間賀島だった。

 大学の部活、放送研究部(略するとAHKだった)の同期生が、毎年初夏に集まることにしていた。渋谷の街だったり、校友会館だったり、東京駅に近いほうが集まりやすいと、日比谷になったりしたが、子供の手が離れた女性陣たちが旅行をしたいと云いだした。

 1年に1度なら亭主も許可をくれるということか、1泊旅行となったのだが、女性陣たちは、その前日から旅立って、他の場所から合流するようになった。

 鬼平犯科帖のプロデューサーとなっていた能村庸一君の案内で、京都旅行の際には、祇園のお茶屋にも上がった。幹事は持ち回りで、既に日本全国を回ったようだ。

 ようだとしか云えない自分は、或る年から、慢性腎不全のため食事制限が厳しくなったことで不参加となっていた。

 とかく、旅行というものは、非日常を楽しむと云いながら、その実、美味いものを食する旅になるものだ。山間部に入れば、塩を使った保存食系。海岸線になれば醤油系。肉にしろ、魚にせよ、いずれの食材も国内では塩分系が旨味の基になる。各地の名物に加わるうどんの類も塩を多量に含んでいる。更に、天日干しは、カリウムを多くなることで旨味が増すとくれば、防護策は難しい。ゴルフ場でも同じことになるが、1食だけということもあって、大抵はカレーで済ますことにしている(因みに、いま、一番食べたいものは、故郷で口にする蓬莱軒の「ひつまぶし」だ)。

 こうした訳で、幹事に迷惑をかけるばかりではなく、せっかくの宴に気遣いが出るのは不本意だと、しばらく不参加を決め込んでいた。

 昨年末、インフルエンザ騒動の折、腎臓疾患のある者には、最優先で予防のワクチン接種が受けられる機会があった。台東区からの用紙に記入して、最寄りの上野病院に出掛けた。問診の時、その女医さんから言われた。

 「クレアチニン数値が徐々に上がっているわね、

 クレメジン飲んでいるのでしょうね。

 えっ、試験的に服用した時期があったけど、いまは飲んでいない?

 あなた、今こそ、きちんと飲んでおいたほうがいいわよ、今からよ」

 クレメジン顆粒といって、要は炭の微粒子を服用して、体の毒素を吸着させて排出する作用を持つ高額な薬剤である。2ヶ月に1度の定期検診を続けている都立駒込腎内科医に

 今から3年前、自分の体に効くかどうか、3ヶ月試験的に服用したことがあった。毎食2時間後というのを忘れたり、ブランチになって抜いたりして、かなりの量が余ってしまった。医師からは成果のほどを聞かされなかった。その医師から現在の安藤部長に代わって以来、クレメジンの服用は勧められてはいなかった。

 ところが、GFR16%になった今春、腎臓のエコー(超音波)検査をした安藤医師から、こう言われた。

 「・・・・・ステージ4ですね。腎臓が梅干しのように硬く小さくなってきました。

 萩原さん、駒込に来てから10年、それ以前の慶応病院時代からすれば、

 随分と頑張ったんですよ。

 この歳で透析に入っていないというのは、オーバーに言えば、奇跡ですよ(笑)

 奥さんの食糧法に感謝しなければいけませんね。そろそろ、限界です」

 つまりは、透析予備軍として準備には入れってことを予告されたのだ。

 即座に「クレメジンを飲んだ方がいいでしょうか」

 「きちんと飲めますか?飲んだり飲まなかったりしては、

 意味がないのですが、せっかく高い薬を飲むのですから」

 「はい、承知しました」咄嗟に、素直な言葉が出ていた。

 いよいよか、いよいよだぞ。自分にそう言い聞かせていたら、ある日、大学の同期生から封書が来た。青山学院大学放送研究部いつか会幹事、岡田紀美子とあった。

 何年も不参加だった「いつか会」の誘いだった。

 今年が最後になるかもしれないと、意を決して、「参加」を伝えた。

 男性側の幹事役は足立敏。彼とは、中学、高校、大学、下宿まで一緒の時があったほどに長い、いわゆる腐れ縁である。放送研究部という部活にまで引き込んでしまった。その足立は、卒業後、実家の瀬戸に戻った。日間賀島は、その彼が16年前に幹事で連れて行った島だった。

 僕は15年ほど前に、転勤した名古屋支社の幹部社員の慰安旅行以来だ。当時も、料理の多さに驚かされたが、それがこの島の魅力でもある。

 6月の3日、名古屋へ向かう新幹線は、偶然だが同じ車両になった。背後で沸き起こる嬌声が静岡で急に静かになっていた。理由が後で判った。車内の客から車掌にクレームが入ったらしく、注意されたのだそうだ。あの嬌声は、姿を目にしなければ、女子大生の集団レベルだった。

 名鉄の特急は、最先端のパノラマビューを楽しめる20席ほどの個室貸し切り状態だった。女子大生旅行の再現である。旅行以外でも会っているのかと訊くと、年に一度のこの会だけだという。それが、箸が落ちても笑いこけるように、際限なくケラケラキャラキャラだ。男には解らない開放感があるのだろう。

 

 知多半島を南下して、河和から師崎、そしてジェットフォイル船で島に着く。

 照り返しの強い漁村独特の臭いが身体を包む。疎開先の吉良吉田を思い出させる。

 河豚、烏賊、蛸、穴子の文字があちこちに読める。NYのように、海上タクシーがここにはあった。島々への往来を担っているようだが、会社名が、車メーカーの富士重工業と同じ「スバル」とは、冗句のようでもある。「多幸まんじゅう」も、巧い洒落である。映画のような「かもめ食堂」もあった。

 宿は、全く趣を変えていたと16年前に来た面々が口を揃えて言う。確かに、玄関からは想像できないほど、内部はリフォームされていたようだ。食事をする部屋も風呂場も珈琲ラウンジも、ラタンを使った家具が心地よい。目の前は、篠島である。

 

 夕食までに島を半周した。浜のあちこちに整然と並べられた蛸壺を見て、日間賀島にいることを実感した。壺状の円筒型の蛸壺は、今では、海底で転がらないようにと平らな面を持たせるデザインに変わっていた。

 夕食は、案の定、食べきれないほどに多くの食材で満たされた。蛸の姿煮は当然として、伊勢エビから大アサリ、帆立。東京の人間の目を輝かせたのは、厚い熱い鮑だった。七輪から、勢いよく飛び跳ねる鮑は、UFOのように、再び嬌声の引き金になった。

 事前に幹事が頼んで、醤油味とは、別立てのメニューにしてくれていた。山葵も辛子も黒胡椒もレモンも用意されていた。

 

 

 

 折しも、「同窓会」というタイトルのTBSテレビ番組が始まった。黒木瞳の新しい面が出ていると、評判だ。不倫あり、離婚あり、官僚汚職ありと4組の夫婦を交叉させて展開している。シナリオは、同年代の井上有美子、あの「白い巨塔」のライターだ。

 

 サブタイトルが、「ラブ・アゲイン症候群」という造語の認知は、ワイドショーや週刊誌で話題にさせている。広告会社の作戦が功を奏しているのだ。「同窓会」をステージにする資生堂の「イン・アウト」商品群が、往年のCMタレントを再登場させることで、番組と巧妙なコラボを展開していた。

 我々は、それより更に古い年代だ。既に、大学を出てから、48年。この間、独身は二人いるが、死別しても、離婚した者はいない。マスコミ系に進んだ者は、3人だけだった。不思議なことに、子供の話題、孫のこと、会社の話、旦那のことも女房のことも、一切訊いたことがないのだ。ただのオッサン、オバサンが、世間一般の話をしているだけ。大学時代の放送研究部員の年齢のまま、笑いころげ、怒鳴りあっているのだ。息子たちが見たら、何というたわいない親たちだと言うに違いないのだ。

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