アジアクルーズ日誌

14日目 バンコック1

投稿日: 2014年7月29日

20110206 バンコック1

6時には、パイロットを乗せてバンコックに入国し、8時40分に接岸すると聞いている。

7時に起きて窓外を見る。チャオプラヤに入って来たことは解ったが、ガスっていて岸辺の風景が良く見えない。これでは、プロムナードデッキに出たとしても写真は、撮りにくい時間かと、朝食に出る。

既に菅井夫妻の姿はあった。彼らは、アユタヤへのツアーバス乗車組だ。我々は、シャトルバスまで、時間的には余裕がある。

 

 

レストランの左右に、時折、金色の寺院が見え隠れし始めた。バンコックらしい風景になってきた。 バンコックの意味は、天使の街、クレンテープなのだそうだ。

 

食事を終えて、プロムナードデッキに出る。河畔の変化する風景を撮っている内に、岸壁が近づいてきた。船はスクリューを逆回転させ、後退して車の並列駐車のように岸壁に接岸した。2キロ先のゲートがどの方向か、見当もつかない。

 

 

5階のフロント、岩田さんに現地代理店からの情報で、伊勢丹から埠頭ゲートまでの車での経路を教えて貰うことになっている。彼の数年前の体験では、曲がりくねった倉庫街の道を夜に帰って来たのだというから、シャトルバスで出るときに、よく道筋を覚えて置いてくださいとアドバイスされた。こうなると、緊張せざるを得ない。その道が2キロの及ぶと言うことなら、さしずめ、上野駅から田原町駅くらいか。まあ、夜の散歩をしている距離だから長いとは思えないが、朝ゲートまでの歩きは問題ないとしても、夕食後の帰路、ゲートから車が入れないとなると、厄介なことだ。倉庫会社の夜勤従業員がちょっかいを出さなければいいのだが・・。念のため、携帯電話にぱしびの衛星電話番号を打ち込む。万が一、深夜になって、ゲート付近で何かあったら、電話しますからと、ボタンプッシュしてみる。1階のフロントの電話が鳴った。フロントの竹内さんにOKサインを出した。

 

着岸停船して時間は随分経ったが、未だ代理店の担当者は乗船して来ていない。気が急く。

フロントで両替をする。1口3000円で1000BTS。7口、7000BTS分を21000円で両替しておく。2夫妻で4万円分を石沢に渡しておきたいからだ。

 

ようやく岩田さんの手元にゲートの位置を記した地図が届いた。3枚の地図を貼り合わせたコピーを出された。1枚60円で180円也を支払う。ゲートとイミグレとはほぼ一直線であることが判った。

 

9時発のシャトルバスに乗る。一応、目を凝らして、ゲートまでの風景を頭に焼き付ける。港湾労働者にいるこうした倉庫街の建ち並ぶ埠頭の風景は、大学2年生の頃を思い出す。

 

我が家が伊勢湾台風で被災を受けたため、帰郷してバイトに励んだのが、名古屋港での全検(全日本検数員)の仕事だった。荷受け側と船主側(日検)に別れて、輸出入品の数をチェックする。時には、ワッチマンという仕事で広い埠頭にただ独り徹夜することもあった。船積み前日、500台以上のトヨタの乗用車が埠頭に駐車している。その中央に一台だけ、キーを預かった車があり、そこで明け方まで監視するという役割だ。ルームライトを点けたり、カーラジオを鳴らしたりすれば、ワッチマンが何処にいるか、明白になってしまうので、ただただ黙して座っているという仕事なのだ。翌日に、傷物の車が発見されれば、全検の責任となる。極めて、高額商品の責任重大な仕事である。その分、時間給も高かった。月に何度もある仕事ではなかった。ゲートに向かうシャトルバスの窓から、そうした夜を思い出していた。

 

帰路の目印にとデジカメの連写で街の標識やビルを撮ったのだが、悲しいかな、読めるわけがない。自分で思わず苦笑した。

やがて、見慣れた町並みが現れた。デモが繰り広げられたサイアムの高架歩道と交差点だ。

伊勢丹の文字も見えた。渋滞もなくスムースに着いた。

 

角にエラワンプーム(精霊)を祀るほこらが見えた。多くの人がお参りをしている。

聞くところによると、「プラ・ピッカネート(ガネーシャ神)」といい、商業の願掛けになっているとか。なるほど、伊勢丹角に建つのも頷けた。 

 

1階のジムトンプソンの店に入って、石沢君を待つ。妻は、久しぶりのこの店に懐かしいを連発。そうなのだ。2002年、ホアヒンのリタイア・ビレッジを下見しようと藤井さん(BKKの「スマイルフィルム」社長)の誘いで、バンコックを訪れた。ホアヒンのホテル、「ソフィテル」でゆったりとしたリゾート気分を味わった。「ソフィテル・センタラ・グランド・リゾート&ピラズ」は、かつて、「レイル・ウエイ・ホテル」の名前で、上流階級の人たちが長逗留していた、タイ最初のリゾートといわれている。

しかし、移住しても遠からず通うことになる透析病院は、40km先だったことから、移住を断念し、2003年、世界一周クルーズに出掛けたのだ。それ以降旅重ねた船旅は、夫婦で訪れたタイ旅行がきっかけになったのだ。

 

ストローハットを頭に、ホワイトのコットンパンツでアロハシャツを着込んだ洒落た男が入口に近づいてきた。斜め掛けのバックも、なかなかの出で立ちだった。この街の中でも大柄で、洒落者で通じるファッションだった。さすが、元アドマン。石澤君のお出ましだ。

 

昼食には間があるので、しばらくジムトンプソンの店で、土産用の品物を探す。熱海の友人夫人方、そして妹尾と長男、次男の嫁、計7軒への土産だ。気に入った小物入れを数点買ってから、外に出た。2002年以来だから、街は変貌していた。

 

妻の最大のショッピング目的は、「ドクターショール」のシューズ。かつてスクンヴィットの「エンポリュウム」で買い求めたシューズが、彼女はお気に入りだったが、今クルーズ中に、靴底が割れてしまった。9年も履き続けたのだから、買い換え時だと言える。石澤君には、メールで、「ドクターショール」の店に入りたいと前以て頼んでおいた。彼は、「エンポリュウム」の同系列であって、更にスケールの大きな「サイアム・パラゴン」の店を勧めてくれた。歩いて5分ほどのビルだった。

確かに靴メーカーは多く、その中に「ドクターショール」のコーナーを見つけた。「ドクターショール」をこんなに大きく扱っている店を、日本では知らないのだ。

 

妻は、随分時間が掛かっていた。気に入った3足を迷っていたのだ。自分のサイズの合う気に入ったデザインは、日本でも少ないので、この際だから、3足共買うことを勧めた。まあ、靴は、医療健康器具と思えばいいのだ。日本で探すには、時間がかかりすぎるからだ。このバンコックでは、妻の足のサイズが結構揃っているからだ。

バンコック、いや、今クルーズ、最大の買い物はこうして、いとも簡単に終えることが出来た。

 

在留邦人が5万人もいるタイ。単一の日本人校は3000人と世界最大である。かつて、日本人会の会長は、石平支社長が永らく務めておられた。

 

彼女曰く、飛行機は嫌いだが、こんなに自分のサイズが多く、デザインが選べる国は此処しかない。5時間の空路は死んだ気で買い物に来たいと言い出すほど、はしゃいでいる。

 

よく考えてみれば、待ち合わせして、石澤君をいきなり、買い物に付き合わせてしまったのだ。

 

オチャして、今日の時間割を打ち合わせをしようと僕が言い出した。目移りする品は、まだ他にも多いが、1階のフードコートに降りた。しばらく、石澤君のバンコックライフを聞かせてもらった。

 

今日の予定は、「JJ」。チャトゥチャック・ウイークエンド・マーケットだ。妻にあの猛烈なエネルギーを感じさせたいのだ。後楽園ドーム6杯分はあるかと思える程の、何でも有りの最大マーケット。

ただ、あのエリアでの食事は、誇りっぽくていけない。

 

出掛ける前に、昼食をしよう。「MK」がいい。BTSのホームから看板が見えたことを思い出した。

 「コカ」は、知られたタイスキの店だが、どうも、観光客相手になっているせいか、味がまずい。有楽町にも、上野にも進出しているが、「MK」には負ける。

石澤君が店の住所を調べてくれた。どうやら、あの店は移転したらしい。

彼も、最近はタイ飯は口にしていないと言っていた。

何処かに訊きに行った。そして、タクシーに乗ることになった。

 

或るビルの1階に総ガラス張りの大きな店構えで「MK」はあった。Mというローマ字もそうだが、「金」を丸で囲った、マルキンも、もうひとつの印だ。相変わらずの人気の店で、15分は待つことになった。

 

テーブルに御案内されてまずは、ドリンク。キウイジュースを頼んだ。

妻の頼んだ飲み物はマンゴジュース。ひとくち飲んで驚いた顔をした。

「あなた、これ、飲んでみて、美味いわよ!」

味が実に濃いのだ、いわゆるネクター状態なのだ。糖度も高い。70バーツ。210円で、こんな美味い果物が飲めるなんて、実にフルーツ天国だ、贅沢だ、と互いに驚き合う。

何度もバンコックに来ていて、キウイジュースは初めて口にした。

 

サイドオーダーの豚肉と北京ダックは、既にそれだけで充分な味が付いていた。

適当に頼んでくれたタイスキの具は、小皿を段違いに載せた器で運ばれてきた。

これも、コカチェーンにはない小道具だ。丁度、ハイティーの時のケーキを載せてくる金具に似せている。MKのスープは、コカとは違う美味さだ。

日本軍が教えたというタイに根付いたすき焼き。恐らく、戦時中は、肉よりも、他の具材を多く鍋に入れたのだろう。久しぶりのタイスキに胃袋も満足した。

 

食後は、BTSのホームに立った。今は台北も同じ風景だ。スカイトレインをBTS,地下鉄はMRT,スクンヴィットは、SUKである。3文字省略が多い。BKKは、バンコック。

交通渋滞を緩和させるために生まれた新しい交通手段である。この開通には、日本の国際協力銀行が主体の円借款が大きく寄与していて、日本の企業も多くの工事を受け持った。しかし、車両は、ドイツのシーメンス社を採用することになったため、ホームと車両の間に危険な隙間が生じている。

バンコックを訪れる観光客でも、平日では観られない、土日限定のマーケット。我々は、運が良いのだ。洋品洋服雑貨はもちろんのこと、レコードから食器、美術品からカーテン地、植木から熱帯魚、犬猫のペット類と、殆どの物が手に入る。コピー商品から、オリジナルまで新品から中古まで、その商品の目利きが出来る者には、堪えられない魅力の宝庫だ。

心配は、果たして、歩き回る2時間、自分の足が持つかどうか。あの迷路の中を汗かきながら歩き回るのだ。

 

チャトゥチャック駅は、はき出された人でホームが埋まった。駅から、マーケットの入口までは、人の波。逆らえず、しばらくは、身を任せる。

 

なにも観光客が押し寄せているばかりではない、地元の人々にしても楽しみに待ったウイークエンド・マーケットなのだ。三人がバラバラにならないことだった。

 

アメ横以上に幾筋もある商店に溢れんばかりに飾られた品々。目が疲れてしまう。

掛け声は、時折、カタカナの日本語が降ってくる。何処かでどっと笑いが爆発する。

 

 

歩いているウチに方向と距離感を失う。ひっくり返された、大人のおもちゃ箱だ。

 

妻は、網代の盆を数枚買っただけに終わった。

かなり疲れた。足の上がっていないことが自分で解るほどだった。すり足で歩いている。

気を散り直した。我々の目当ては、家具売り場だった。

左側を回った奥のエリアにそれはあった。

ラタンと硬質硝子の組み合わせで、なかなか洒落たデザインの食卓があった。

 

船便でいくらになるかを訊ねた。案外、安い値段だったので、買う気になってしまった。

買いたい気分が高まった。ところが、船便が到着した日を想像してみた。

マンションのドアから入れられるか。キッチン横の入口から果たして入れられるか?

95X95X75だ。

鉄枠でデザインされたそれは、斜めにしてもマンションの玄関にさえ入らないことが判明した。

巻き尺で何度計り直しても、それは無理だった。

 

我々の家には運び入れられない事を知れば知るほどに、残念になった。

後ろ髪を引かれる気持ちで、妻を駅に向かわせた。、

 

 

地下鉄はスクンヴィット駅で降りた。

 

喉が渇いていた。暑さも堪えた。「ウエスティン・ホテル」のカフェに歩を進めた。

ゆったりとした、大きな椅子に身体を預けて、エアコンの効いた空気を吸い込んだ。

 

テンモー・パン(西瓜のシェーク)を頼んで飲んでみた。これがまた美味い。

 

昔なら、充分腎臓病患者には、贅沢な薬になった。

いまでは、カリウムが高いからと敬遠されている。

 

 

ジュースは、ナーン。ナーンとは水。メナームのナームは水の意味だと判る。

こうして、石澤君が、話のネタを渡してくれる。

このゆったりさは何だろう。音楽が聞こえてくるのでもない。

外の走行音も聞こえない。奥のパントリーの方で、かすかに聞こえる水道の音。

天井の高さも影響しているのだろうか、だらしない身体が、浮いているような錯覚を覚える。

 

動きたくない。それほどに、歩き回ったということだ。二人はどうだろう。

 

夕食を何処にするか、これまた、考えなければならない。石澤君も考える。

結局、スクンビットの方角に向かう。閉店だったり満員だったりして二軒、三軒周った。

 

食事でのアルコールは、抑えた。この後、彼が、これぞバンコックの隠れ家といえる、

観光客の知らないバーに連れて行ってくれるという。それを楽しみに食事だけにした。

 

少し、風が吹いてきた。頬に心地よい。湿気を感じない。なんだか、LAXにいる気分になってきた。

 

タクシーで繁華街を離れ、ビジネス街に入る。辺りのビルを抜きん出て、ペンシルビルが見えてきた。サートーン通りだそうだ。ホテルの玄関に乗り入れる。イギリス風のコスチュウムを着たドアマンが、恭しくドアーを開けた。ハイソなホテルだと感じた。

 

バニヤンツリーホテル( Banyan Tree Bangkok)とある。196m。

エレベーターの乗る。最上階で降りる。

61階フロアーだが、そこではなかった。更に上がる。

63F 「ヴァーティゴ」。脇にある狭い階段を上がる。

 

 

 

と、どうだ。周囲に遮るものはナシだ。空しかない。

真っ黒に塗られた壁と階段のステップ。踏みしめながら上がる。

底は、壁のない、サロンバーが広がっていた。

いや、応接セットが数点、白いテーブルマットが眩しい。

食事をしているカップルがいた。

 

「風と語るルーフトップのダイニング」というのが、売り言葉だ。

 

膝から上は、壁が無い。

酔っ払いはここへは来れまい。チャイルドも無理だ。

まさに、大人のダイニングバー。

日本では建築許可はまず下りない。アテンドしてくれた石澤君様々だ。

 

満天の星と眼下の灯りをつまみ代わりに、

ジンベースのロングカクテルを飲む。

なかなか、言葉が出て来ない。妙な感動に、言葉が要らないのだ。

 

バーテンダーは、タンブラーの脇にペーパーナプキンを添えてくれる。

それを目で追いかけてしまう。

なぜなら、客の手に渡った後、そのペーパーナプキンが、

夜空に舞い上がってしまうのではなかろうかと、気になってしまったからだ。

 

屋上の夜風に吹かれながら、口にするどんな酒も、美酒になる。

最高のバンコックの夜を過ごした。

 

 まだ観光客には知られていない、長期滞在者だからこそ、足を踏み入れられる隠れスポット。

バンコク市内を一望できる最上階のフュージョンレストランは、驚くほどにスタイリッシュだった。

 このホテル、1Fにはフロントとラウンジがあるだけ。

だが、地下の中庭には、バンヤンツリーの森を眺めながらのビュフェがある。

 それ以外のホテルサービスは、全ては33F以上なのだ。

 

 1998年のビジネス・トラベラー誌(英国)で「世界のベスト・ビジネスホテル」トップ3になったとか。

 

 

ホテル付けのタクシーを呼んで乗り込む。ゲートを抜けて波止場まで入り込む。

はしびの船体横に車を停めた。

石澤君を船内案内する約束だからだ。運転手さんには、待って貰う事になるのだがと話していると、タクシーの運転手が、

「ここは、タクシーを停めると、タクシー仲間からうるさく言われるんだ」と、嫌がった」。

ならばと、フロントの岩田さんに許諾をもらおうと、一旦、僕は船内に入った。

 

 

適当な場所を教えられて戻ると、運転手の顔が良くない。

なんと!運転手は、気を変えたのだ。

 

 

「待てない、金払え、帰る」

 

タクシーにカウンターはあり、その数字は読めている。

此処には、ドライバーが多数たむろしているのだが、

どうやら、後日、彼らに睨まれるのだそうだ。

ゲートより中には一般のタクシーは入らない事になっているからだ。

 

話によると、200バーツをベースにして、それから幾ら上乗せるかの交渉次第だという。

カウンターの数字は、バニヤンから岸壁までが70バーツであるから、暴利だ。

 

こうして、観光客は、質の悪い運転手に好いように支払わせられるのだ。

ぱしびの若いクルーたちは、街へ出る時には、2キロの先の白タクよりも、此処の白タクを選ばざる得ないのだ。

 

タクシーが待ってくれないという。

石沢君は、気の毒にも乗って来たタクシーで帰らざるを得なかった。

 

最高に楽しい夜を与えてもらったのに、

最後に、石澤君へ、客船を案内する機会を与えられなかったのは、申し訳なかった。

 

 彼のリクエストだった日本酒、「剣菱」を数本買って来てある。

 再び船室にとって返して、贈呈した。僅かな謝礼で、恥ずかしい。

 

本日、マーケット歩き、17479歩だった。

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