萩原高の眼

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続クルーズ日誌
2014年 9月 29日(月曜日) 21:57

060608大西洋カリブ

060610 カリブ海
まだ揺れは残っている。しかし、日射しは強くなってきた。当然だろう。既に、鹿児島の経度に近い。気温も20℃にはなっているだろう。
八点鐘の鐘は、本日、西出さんだと本人から聞かされていた。キャプテンアナウンスは、やはり、気温20℃だった。
 
『にっぽん丸はバハマ諸島ナッソーの北東、490海里(907km)を航行中です。
バミューダを出港してからコズメルまで急いでいる理由は、バハマ諸島からフロリダやキューバの沖合いを流れる、強いメキシコ湾流、フロリダ海流、北大西洋海流域を航行しなければならないからです。明日の昼頃、バハマ諸島沖に到達し、カリブ海に入ります。

地球の創世記、大陸のプレートに地殻変動があった時、初めはくっついていた北米・南米とアフリカ大陸が離れていきました。
世界地図で大陸の形を見るとよくわかります。アフリカ大陸の西側、モロッコからモーリタリア、シェラレオネの辺りが、カリブ海にあたります。

このカリブ海は、大航海時代にスペインやポルトガルなどの西欧諸国による覇権争いの舞台でした。その海域に、にっぽん丸は入っていきます。
その昔、アフリカ のセネガルの沖にある島国「カーボベルデ」を基点にして、西側1,800kmを通る子午線より西側は、スペイン領土、東側はポルトガルという協定が結ばれたそうです。
これにより、ブラジルはポルトガル語、南米大陸の西側の国はスペイン語というふうに分かれたわけです。カーボベルデの「カーボ」の意味は「岬」で す。

400年から500年前、西欧諸国の覇権争いの中、カリブの海賊が横行していた時代の西インド諸島に思いを馳せながら、本日も航海を楽しんでください。』



朝食は、両切りのパンに野菜やスパニッシュオムレツを挟んで食べた。
これまでずっと、腸には負担のかからないオートミルだったが、腹持ちがないので、食パンを日替わりに食べている。今日のヨーグルトは、実に美味かった。日本で好んで買っているジャージー乳牛のヨーグルトに近い味だった。ニューヨークで積んだのなら、しばらくは、この美味いヨーグルトを食べられる。


日射しを期待して、ネックカバーのキャップを頭に、デッキゴルフに向かう。美子さんとは色違いである。知らない人が見たら、夫婦と思うかもしれない。

デッキゴルフのスティックとパックがすべて新品になっていた。曲がったスティック、割れたパックを知った久慈目パーサーが甲板部に頼んで、新たに削り造ってくれたのだ。
喜んだものの、初打ちに奇妙な声があちこちで上がる。僕も打ってみた。あっと声が出る。新しいスティックが重いのか、パックが重い。思うような距離が出ない。失速という言葉が当たる。
どうやら、パックを塗ったエナメル塗料の重さで、いつもの調子が狂うのだ。

全ホール全員上がりでスタート。白組が、山縣、工藤、菅井、萩原、高嵜に対し赤組は、松田夫妻、菅谷、中島、西出。新しいパックにフィットしているのは、山縣、中島、ミセス中島と、余り力を入れないで打つタイプで、強打タイプには、応えてくれないようだ。それが証拠に、転がりとなる割合が少ない。ジャストミートを心がけることだ。

赤優勢で進んだが、権利玉になってからの白の攻撃が功を奏して、勝つ。
高嵜、菅井、菅谷3氏は亀井教授の講義を聞くため退出。

2回戦は、白組、山縣、工藤、西出、萩原対赤組、横田、松田、中島で、残り1パックを順打ちとした。8人のゲームは、やはり面白い。
最後に横田さん独りに対して、我々は西出、工藤の3人で対抗。横田さんを僕が打ち出しておいて3人が上がった。
久しぶりの連勝だった。

11時30分からは、7階のフィットネスルームで、久しぶりのアエロウオーカーと、床運動器具を使っての腹筋運動をした。久しぶりの汗だった。シャワーを浴びて、ゆっくりと13時に昼食をとった。

午後は久しぶりにゆっくりした時間となった。妻は微睡んでいる。僕はPCに打ち込んでいる。

15時、1ヶ月ぶりの血液検査に1階の医務室へ向かう。BUN値を計って貰うのだ。期末試験の発表のようなものだ。田村ドクターは、そうか、もう1ヶ月が過ぎましたかと腕に注射針を打ち、大久保ナースは早いですねといいながら、診察に来ていたフォードルフィンのバンドメンバーの一人に、なんもゆうこと聞いてくれてないわと、コンコンと英語でお説教していた。頼もしい。田村ドクターは、博報堂にいい男いてまへんか、いい娘ですよ、と笑いながらいう。

隣のシアターで、映画が始まる。「五線譜のラブレター」(04カンヌ国際映画祭クロージング作品)コールポーターの半生だ。リンダの勧めでニューヨークのブロードウエイからハリウッドの映画の主題歌へと移り住む中で、二人の間に亀裂が生じる。ニューメキシコのサンタフェ辺りに引き籠もったリンダに、ポールは自棄を起こして落馬する。それが元で、ピアノのペダルが踏めなくなったポーターは、失意のどん底に墜ちる。流産の悲しさに追い打ちをかけるように、リンダは肺ガンに冒される。
何度も乗り越えた二人の愛をポーターは、すべて曲にしていった。生涯に870曲も作曲したポーターが、傍観者となって、ストーリーの展開に絡む構成を採った映画。
「私が愛するように、私を愛さなくていいのよ。ただ私だけを愛してくれれば」このリンダの言葉は、胸に刺さった。ラストに出てくるバラも印象的だった。
「スペインで咲かせたバラだよ。本来、合わせることが難しい花と花を掛け合わせたのだよ。名前は、リンダ・ポーター・ローズと言うのだよ」
リンダの病床にポーターが持ってきたバラだった。

もうすぐ、僕らも結婚記念日を迎える。占いでは、決して相性の良いとは言えない二人だったそうだが、O型でアバウトなのに強気な下町育ちの彼女が居たから、A型の喧嘩早い僕が大怪我もせずに今あるのだ。
いま、妻が創っている花も「リンダ・ポーター・ローズ」かな。

夕食は久しぶりに、高橋夫妻と一緒になった。自分が仙台の仕事を16年もしてきたせいか、なんとなく親しみは強い。高橋さんが刺身を並んで4人分運んできてくれた。
白ワインが今晩は美味しい。もう4杯も重ねた。高橋さんは、初心者相手のデッキゴルフでは、中級の域。気分がいいようだ。ダンスを止めて、早く一軍に上がってくるように頼む。ワインの勢いで奥さんの美知子さんと今夜踊る約束をしてしまった。


仮装のマスカレードは、20時頃に6階のスポーツデッキに出てくるはずだ。その時間になったら借りに行こう。先回は、夕食の時からカリビアンナイトの服装だった。だから、仮面を付けようが髭をつけようが、青い毛のカツラを着けようが、ばれていた。
リピーターは、夕食とカリビアンナイトの服装を着分けていた。今回は、遊び心でわざわざ着分けてみた。先回のようにカツラがあったりすると面白いが、どうだろう。所詮、僕はひげ面で、ばれるのだが。

全面親父顔の半透明仮面を付けた。本人よりもより気弱な性格を強調する顔だった。その顔に3年前ハミルトンで買った派手な花柄のシャツを着た。妻のマスカレードは派手な羽根付きだった。衣装は、ハワイロケの土産で買った25年も前のモノを持ってきたようだ。先回は、フィージーで買ってきたパレオだった。

ウッドデッキで滑りは悪いが、ダンス曲になった時、約束の女性と踊った。佐賀の和田希公子さんであり、名古屋の高木敏恵さんであり、仙台の高橋美知子さんだった。
彼女たちは夕食時から同じ服装だったから、仮面をつけていても、見覚えのある服装で知ることが出来た。尤も、ご主人と踊っていることから、それとすぐに判るものだが、しかし、名古屋ジルバを教えると約束していた西出さんの奥さんは、探しきれなかった。
眼以外は塞がれている僕の仮面は、吐いた息が汗と一緒になってサウナのようだった。踊りが激しくなると、開いている眼の穴がずれてくるのと、アルコールの酔いとで、身体だけが動いているに過ぎない。

アシスタント・クルーズ・ディレクター蘇君の兎衣装とダンスの若手先生のスーパーマンは決まりのコスチュームだった。カメラを手にシャッターを切ろうとして、先回の蘇君と寺本さんとのコンビが消えたのが寂しいと感じた。掛け合いもなく、蘇君が孤軍奮闘で場を盛り上げる役を担っていた。あらためて、寺本さんの存在の大きさを知ることになった。セーラー姿になって、軽妙なやりとりを交わしていた3年前の彼女、賭場で片肌脱いでサイコロを振っていた、切れのいいセリフ。いま何処かで、コンサートやファッションショーのMCをしているのだろうな。

ひさしぶりに、いや3年ぶりに妻と踊った。我々にとってこのカリビアンナイトは、ダンスが出来るということを解って貰うには格好のチャンスだった。しかし、中川三郎直伝の、あのマジックステップをどうやら妻は忘れてしまったようで、早いリズムでそれを採り入れると戸惑っていた。渡辺登志さんと踊ってみたかったが、彼女は腰を悪くしているので、遠慮した。彼女は、デッキに出てきていたのだろうか。

朝のウオーカーから、夜のダンスまで、ひさしぶりに汗ばんだ1日となった。ぐっすり休めるだろう。

2014年 4月 05日(土曜日) 22:27

060608 大西洋カリブ海

060608

深夜には、これまでで一番激しい左右の揺れが続いた。列車の連結器の間に立っているような揺れだった。本来、イギリスから大西洋に乗り出したときに起こる揺れが、今頃になって、低気圧の関係で再現された。部屋に置いてあるスーツケースが倒れた。

八点鐘でのキャプテンアナウンスに依れば、ニューヨーク停泊中はお天気に恵まれず、お疲れ様でした。

にっぽん丸はニューヨークの南東180海里(333km)を、珍しく南東方向に航行しています。風が強く、うねりもありますが、追い風・追い波なので大きな動揺はありません。南に下がるほどに静かになってゆくでしょう。波乗りのつもりで楽しんでください。

現在の空模様は曇りですが、お天気は回復傾向です。
楽園バミューダに向けて、心は晴れ晴れといきましょう。
今日はデッキランチを予定しています。

ニューヨーク上空で急速に発達した低気圧は、昨日の午後で1,001hPa。今日は990 hPaまで下がり、ニューファンドランド島方向へ向かっています。日本で言えば「台湾坊主」と呼ばれる台風並みの低気圧で、付近には嵐の警報が出ています。
しかし本船は南方向へ向かって離れていきますのでご安心ください。

日本は梅雨のシーズン到来ですが、梅雨の無いニューヨークでは昨日のような天気が続いており、今年は天候不順で異常気象だと水先案内人が言っていました。地球温暖化の影響かもしれません。

これからの航路は、南に向かいますので、急に気温や湿度が変わり、体調を崩しやすくなり、胃腸も弱ってきます。寄港地では生水や生の食品は避けてください。感染性胃腸病のもとになるので、充分にお気をつけください。
本日もどうぞお楽しみください。

ニューヨークの南東180海里(333km)を、珍しく東南方向に航行中だという。「珍しく」の意味が不明。西北西の風12m。波は15m。然し、うねりによる波は25mとなっている。つまり、風が強く、うねりはあるが、追い風と追い波なので、おおきな動揺はないという。だから、デッキランチをすると予告。ニューヨークでの風雨は、上空に低気圧があったからで、1001hpaという台風坊主のようなものだったらしい。だが、それも、ニューファンドランドへ北上したので、天候は回復するという。

しかし、揺れた。洗顔していても、蛇口に額がぶつかりそうで注意が要った。

未だ眠っていたかった。朝食に着替えて出るのが面倒だった。然し、デッキゴルフには行きたい。だから部屋から出た。朝食のテーブルでは、昨日ツアーバスでの行方不明客の話が出た。噂では、どうやら客の方が悪者になっている。しかし、人数を確認せずに、所定の場所からバスを走らせたスタッフ側のミスは事実だ。対応策も拙かったため、その84歳の客を悪者扱いするは気の毒だと流れに変わった。

 

デッキゴルフは、12人となった。滑りの感覚が違っていたので、あっと驚くほどに多くが的を外した。ドボンされる回数も多かった。初戦は、最後に31となり、ラストのショットをミスって敵に上がられ負け。上のスポーツウッドデッキでは、デッキランチのための天幕張りが行われている。

2戦目は、2ホール目から動けず、敢えて時間切れドローを狙って、ヒール役になったが、防ぎきれず、権利玉の多い白松田組に負けた。個人的には2連敗した。左肩の痛みはもう後少しで取れるだろう。

 

3階の東ギャラリーが新しい写真と入れ替わった。ニューヨーク風景が6枚一挙掲載。昨夜は、またセレクションとカラー調整など目に悪い作業が大変だったのだろう。あの揺れの中で、である。なおさらだ。

1,     リバティ島から迎えてくれた自由の女神。カメラを構える船客等を下部に入れ込んでのフレーム。

2,     雨で夜のようになったタイムズスクエアの広告ネオンボード。

3,     MET(メトロポリタン美術館)に居たエアラインのタッグが付いたままのベビーカーに乗せられた幼児。

4,     スポーツ店にあった松井の等身大のカット板。なるほど、ニューヨーカーに頼りにされていることが判る。

5,     対岸のニュージャージーから捉えたにっぽん丸とピースボート。なんと言っても、労作傑作。摩天楼を入れ込んで、2隻の日本船が埠頭に並ぶという、願ってもないチャンスをものにするために、車を走らせたのだろうと思うと、頭が下がる。ピースボートのトパース号は、翌日には姿を消すのだから、初日の晴れ間に撮っていなければ、タイミングを逸することになった。

6,     フィフスのブランドショップ(グッドマン)のウインドーディスプレイ。人物を配して、著作権を免れている。

 

デッキランチの海は、まだ揺れている。管井夫妻と船尾の方で反省会と称して、ナイヤガラの滝ツアーに出掛けていた荘輔さんからの報告を受けた。自然が好きな荘輔さんにとっては、ニューヨークの街作りそのものが嫌いなのだ。瀑布が窓から眺められるホテルがとても良かったという。夜は夜でその瀑布を眺めながら、酒をちびり、ちびりやって、朝は朝で、カーテンを開けて壮大な気分を味わっていたという。

ヴァイキングスタイルは、チョイスできるとはいうものの、塩分の少ない料理は少ない。カレーを見つけたので、たれの濃い鰻丼はやめておいた。今日はドイツ系缶ビールが多かった。デンマークビールが美味かった。缶ビールを2本も飲んでしまった。

カメラを持ってきたのだが、不思議に撮りたくならない。光が不足していて明るくないからだろうか。食事している人の服装も、寒々していてなんだか、地味だ。

デッキゴルフといえば、フォードルフィンは明るいアロハシャツを着込んでいるのだが、彼らも、濃いベージュ色で中国公務員服のようだった。ウエイターもウエイトレスも、通常の服装だった。バンドについて走り回っているカメラマンの平野さんだけが、アロハ姿だった。ビールで酔った人が居るにいるが、盛り上がっている座席は少なかった。開放感がイマイチといった感じ。強い日射しは明日を待つしかないか。

部屋でTVナビを見る。キャプテンがいう、追い風追い波だからだろうか、速度は21ノットまで出ている。無理してこの圏内から脱出しようと懸命に走っているように思える。チャンネルを変えて、操舵室からのカメラ映像を見る。コブのある斜面を無理矢理突っ切ろうとしているスノーモービルのようだ。

PCを打とうとしても、疲れる。止めて眠る。電話で起こされた。デッキゴルフの表彰式は何時だと美子さんが訊いてきた。17時だがといって時計を見ると10分前だった。なにも手伝わないままに、リドデッキに上がってみると、菅谷、高橋、西出の三氏以外は、みな居た。西出さんは船酔いでダウンしていた。

リドデッキは最上階でしかも、舳先に近い。この船の中では一番揺れる場所での飲み会だ。波の高い日でも船尾でプレイしてきたメンバーだ。さすがだ。程なく菅谷さんが上がってきた。

最下位チームのリーダーだった僕が口火を切って、優勝チームを讃えた。長老のコンドル菅谷が乾杯の音頭を取り、商品授与の表彰式を行った。憎たらしき4名、高嵜、菅谷、工藤、山縣にモパスのTシャツである。割れんばかりの拍手で祝った。本田さんからのメール文を口で伝えた。

次男が教えてくれたTV東京の生中継は、やはり、この船で行われていた。中島さんの奥さんの親戚が船内見学に訪れていた最中で、インタビューに答えたという。息子が、録画したとメールしてきたので、帰国後の楽しみにする。

ここでも缶を飲み、昼に続いてビール腹になってしまった。

このため、夕食は食欲なく、ブルゴーニュ煮の牛肉だけを食べてデザートにした。コーヒーは重いので、初めて紅茶にした。

大風呂はクローズ。アントニオ古賀がニューヨーク港から乗船したのだが、そのメインショーもパスした。パジャマ姿になってPCに向かった。

20時、ようやく、大風呂解禁のアナウンスが流れた。

 

TVのニュースでは、「犬の誘拐に備えた保険とか、捜索会社が生まれて繁盛している」という。確かに、愛犬家にとっては、家族の一人?だから、人間同様に、保険があってもおかしくない。こうなると、ペット・ドックとか、ペットのペット検査とかも出て来るに違いない。

 

  明日は、一転まばゆいばかりの光の下で、南海の楽園を楽しめるか。
  ハミルトンでは、英国領だから有るだろうと、妻がサンドイッチ・スプレッドの一  種を探してみたいと言っていたな。僕は専らキューピーのサンドイッチ・スプレッ  ドを好んでつけている。捜し物のそれは、よく小説にも出てくるもので、「マーマ  イト」とか、「ベジマイト」とかいう。義弟がイギリス在住時代に土産にくれたも  のだ。
2014年 3月 07日(金曜日) 10:49

060607 ニューヨーク2日目

060607
朝から雨だった。吹き降りだ。選りに選って自由行動の朝に、なんてこった!今日は、妻と、荘輔さんから頼まれた菅井美子さんとを連れての”NYお上りさん”第2弾。
 
予定では、42stから、ニューヨーク・ウオーター・ウエイの遊覧船に乗るつもりだった。しかし、この雨では、遊覧船は面白味がないだろう。対岸の景色も雨でぼやける。オープンエアの椅子にも座れない。前日にバッテリーパークには行った。イースト・リバー側のフルトンで昼食は食べた。国連ビルも表側は見た。船でなら、リバティ島の女神に近くなることはあっても、雨で写真には、よく写らないだろう。ルーズベルト島手前までをUターンしてくる1990分の半周クルーズは、中止することにした。
 
傘が要る。寒いかも知れないからと、長袖のカーディガンを300mmレンズカメラと一緒にディバックに詰めた。妻には出来るだけ、小さなバッグにせよと言った。僕は、濃紺のチノパンツにデニムの半袖、ノースリーブのウインドーブレイカーと Kスイスのスニーカー。
とりあえず、埠頭から出るシャトルバスで、42stのウインストン・ホテルまで行くことにした。東さん夫妻も乗っていた。さて、東さん、雨の NYを、どう切り撮るのだろうか、楽しみだ。

ウインストンホテルを出て、タイムズのビルを抜けて、タイムズ・スクエアに出る。
PICT2787
様変わりしていた。最後に訪れたとき、このエリアは再開発計画があるのだと言われ、工事で歩きにくかったことを思い出した。
その再開発計画にディズニーを誘致したことで、怪しげなショップが消えたのか、雨の中でも明るくなっていた。ジュリアーノ市長から引き継いだブルーム・バーグと言えば、証券会社のソロモン・ブラザーズ出身で、ワンルームオフィスで 4人の仲間と金融情報サービスの会社をスタートして、いまや、 8000人余りの世界的企業となっている実務家上がりである。癌に冒されていることを公表しながら、9・11の処理対策に奔走したジュリアーノが、グラウンド・ゼロを「聖なる記念公園」にと考えたが、それよりも、ブルーム・バーグは、さらに現実的なビジネス感覚を発揮しているというからには、再び世界一の高層建築を創りあげようとするのではないか。アイデアを出して投資させるのが、彼の得意な業粋だっただけに、である。地下鉄敷設でもケネディ空港へ 18分で行ける計画案があるようだ。また、 2012年のオリンピック誘致に向けての再開発計画もあったようだ。

昨夜、オプショナル・ナイトツアーで「美女と野獣」を観劇したという美子さんは、修了後にブロードウエイの、どの辺りを散策したのだろうか。妻とだべりながら歩いているので、問いたださずにそのまま歩を進める。
ハードロック・カフェの角を左折して、アッパーへ歩く。
コロンバスサークルの手前 58stをフィフスまで歩き、プラザホテルの姿を見せておく。PICT2768DSCF2841DSCF2845格式のあるNYのシンボルが、容姿を変えて、高級レジデンスになるというのには、どういう事情があろうが、寂しいものだ。
僕にとってのプラザホテルの表玄関は、スーパードライ発売2年目のCM撮影でニューヨーカーを驚かせるような大掛かりな仕掛けをした場所なのだ。空にはヘリコプター、玄関前には TV報道中継車2 台、階段を下りてくる閣僚クラスの男には SPを配し、中継記者に扮した落合に混じって数十人のジャーナリストが、階段に攻め上がる。この劇的なワンシークエンスに、通勤途中のビジネスマンや朝早くの観光客が野次馬として遠巻きに集まった。本当に何か事件が起きたのかと、人がどんどん集まってきていた。ヘリコプターのホバリングが一層、臨場感を煽る。このホテルが閉じてしまうのだ。妻には解らない感傷に独り浸っていた。
セントラルパークは南北約4km、東西0.8kmの広大な敷地の世界的都市公園のひとつだ。動物園もスケートリンクも小さな湖もあれば、メトロポリタン美術館も隣接している。ダウンには、プラザホテル、アッパーはハーレムがある。なんとしても、映画好きな妻には、例の石橋を歩かせてやりたいものだと急ぐ、が彼女たちは、あの花がなんだ、この花がなんだと、植物園ですればいいような会話でたらたらと歩く。早く石橋に行くんだよと急かせた。
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橋の上で記念写真を撮ってみる。ところがなんと、彼女たちを歩かせると、首から上しか見えないのだ。肩が隠れてしまってなんとも、みっともない。さすがに映画スターは様になるものだとあらためて感心してしまった。尤も、ロケには、クレーンという高さと写角を自在に変えられる機材がある。
かつては、羊を放牧させていたというセントラルパークだが、「むき出しの岩を見たら、マンハッタンの岩盤を氷河が削った後があるかどうかを探せ」と言ったコーディネーターがいた。なにしろ、ここは、かつて1.8万年前には、エンパイヤー・ステート・ビルも埋まるほどの厚い氷の下にあったそうだ。その氷河が一日30cm位の速度で、南に岩や土砂を圧しながら流れていったという。そのとき岩盤には削り取られた勢いの線が刻み込まれているものがあるかもしれないから、注意して見てみろということだった。僕には見つけられなかったし、今日は雨だ。時間を上手く使うためには抜け出す道を考えることだった。
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ロンドンの寄港地グリニッジ・パークで、妻たちがリスを追いかけたことがあった。リスならセントラルパークで見られるし、いつでも撮れるよといった手前、樹に登るリスも見せ、それをカメラに収める役もした。映画シーンに度々ロケされるスケートリンクの場所まで入り込むと、カーネギーホールが遠くなるのでやめる。動物園の横から抜け出る。
 
E72stからマジソンアベニューのE62stまで下がってくると、馬上の貴族姿が、屋根にあった。エルメス・ショップである。記念に店の前で二人をパチリ。
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そろそろ、御茶がしたいと二人から言われ、パークアベニューE61stのリージェンシー・ホテルに入る。ここのカフェレストランなら、落ち着ける。リビングルームのような、それでいて書斎のような、落ち着いた雰囲気の中で、歩き疲れた足を休める。トイレも借りる。次の行き先は、頭の中で、ブルーミングディール店にしている。盛岡の川徳デパートを担当した時に、ブルーミングディール方式の店内展開、ディスプレイを提案したことがある。デパート担当者なら足を運びたい見学店だ。そこへ連れて行こうと思っている。
 
今まで初訪問する国で、僕が必ずすることがあった。1,映画の看板を撮り、2,量販店の家電コーナーを覗き、3,本屋では地図コーナーに行くことだ。
映画の看板からは、ハリウッド映画も来ているのかどうか、生活者は、現在のアメリカ文化を見知っているのかどうかを推察し、その映画上映が日本とどれくらいタイムラグがあるのかを知りたいのだ。家電売り場からは、どのくらいの電化技術がここの生活願望レベルなのか、それに必要とする電力は潤沢なのかを推測してみたかった。ブックストアでは、地図を開けて、その国と日本の距離感をどう認識されているか、しておきたかいからだ。中国人か、韓国人か、日本人と思われるのかも気になった。ジャパニーズと答えたときの、相手の反応を見たかったからだ。
だが広告の現場を離れてしまってからは、その回数も減ってきた。心が衰えたものだ。妻に言わせれば、それでも仕事の眼をするというから、「いい加減」な頃合いかも知れない。
PICT2769
 
 
パークアベニューを横切って、E61stレキシントンへ入った。ホテルを出る前に、ブルーミングディールのストリートとアベニューの数字を頭に入れていたのに、歩きながら妻たちの話に加わってしまったら、その数字が頭から消えてしまった。交差点の角に立つと、余りランドマークのない場所だった。折り曲げておいた地図をポケットから出してしまった。これは、危険度の高い外国で、一番やってはいけないことだ。慌てて戻した。前方にある白いビルがブルーミングディールだと思うが、と見込みで 1本ダウンした。やはり間違いなかった。入口では。アメリカらしからぬ細やかなサービスがなされていた。雨傘をこの袋に入れて入ってくださいと、店名の入ったビニール袋を手渡していたのだ。人件費の高い国で、なんとまあと日本的なサービスに感心させられた。半地下からメンズのフロアへ続くのだが、本日は女性陣の案内だ。まづ、エスカレーターでどんどん上に上がる。途中でフロアに降りられたら、時間が足りなくなる。家具売り場まで上がってから、好きなフロアに下がればいいとした。美子さんは大柄だから、この国のものは似合う。ブルーミングディールは、とにかく、カラーバリエーションが豊富だという印象だ。彼女の足が止まったのはタオル売り場だった。半額セールをしていた。鮮やかなオレンジカラーだ。タグを見ると「ラルフローレン」。ロンドンの角で説明しておいたブランドだ。気に入ったと即決。クレジットカードは OKだと、にこやかに笑った店員に、JTBは駄目だとやんわり拒否された。マスターかビザは無いかと問われキャッシュにした。
 
大きなペーパーバッグを手にすることとなった。雨である。ビニールバッグは誰もいなかった。妻は、テーブルマットを買った。クレジットカードを出すと、すぐに処理して返してくれた。サインは画面にデジタルペンだった。途中少し間違えたので手が止まった。そのままになった。だが、店員は見ないままに、それで持っていて終った。サインの国でありながら、アバウトなところが危ない。これでは、やられるなと更に怖くなったものだ。
ブルーミングディールらしさを見る間もなく出た。ブルーミングディールで買い物をしたという経験だった。
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さて次なる案内先は、カーネギーホール。レキシントンを 57stまで降りて、フィフス
 
 
を横切る際にティファニーを通ろう。四つ角でティファニーとトランプタワーを背にパチリ。カーネギーホールの前は人だかりがしていたので、プログラムの看板前でパチリ。セブンスを 54stまで降りて、イーストに向かう。昼食がしたいと言い出した。懐かしい定宿、ワーリックホテルでと思ったが、メニューを見て、妻たちは首を横に振る。
そこを抜けて右手のMOMA(近代美術館)の中のレストランはどうだろうと入ると、入場券を買うのに並んでいる。雨だから、ここに集まるのだろうか。ここも入ったことにして他に行こうという。美子さんは、雨でペーパーバッグを持って歩くのはいやだと、食事をしたらシャトルバスの場所に帰りたいという。まさか、フード屋台というわけにもいかないだろう。ニューヨークには、そのフード屋台、3100軒もあると聞く。
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ならば、ラジオシテイからロックフェラーセンターの地下広場で食べようかと、54から49まで南下する。雨でレストランは、オープンエアの部分を閉じていた。エレベーターで地下に降りる。そのレストランより、手早い店がいいと言うことで、イタリアンにした。
雑然と張り出した椅子に座り、一枚の紙っぺらからメニューを見た。ライトプレートとビッグプレートに分けられていた。クアーズが珍しくある店だった。僕と美子さんは、それとビッグのスパゲティ・ウイズスカンピを、妻はコークとカラマリのフライをオーダーした。ところが、ここで思わぬ時間を食った。ビジネスマンの立ち寄るファーストフードにも似た店なのに、遅すぎる。立ち上がって、担当にクレームをつけた。解っているといいながら、それからは我々と目を合わせようとしない。トイレに行ってきたが、未だだった。料理が運ばれてきた。どちらかといえばフライの方が量は多かった。
 
 雨は衰えていなかった。50から42まで更に南下した。タイムズスクエアに戻った。美子さんは此処からなら独りで行けると言うが、荘輔さんから預かった奥様である。ウイルソンホテルまで急ぐ。
我々は、ここからどうしてもソーホーまで行ってきたい。42の駅から、CE線が走っているので地下に降りる。自動販売機の無い口に降りてしまった。 そうか、赤のボールマークはそれがないという印だったのか。 再びホテルに臨時に設けられた「にっぽん丸案内所」で、メトロカードの買える口はどちらだと訊いた。
自販機にコインが入らない。いちいちデジタル表示板にタッチしないと進まない。面倒だが、説明の言語は、中国語か英語かとか、1日パスか、シングルかとか、それはキャッシュか、クレジットカードかとか、セレクトして初めて、コインの口が開く。1セントから使えるのが、さすがに庶民の足だ。持ち金の細かいコインを全部入れた。磁気カードが出る。カードをスライドした者しかバーは動かず、昔のように跳び越える柵ではなく回転式ドアが待っている。これでは、急ぐ客は間に合わない。
アップかダウンかという行先表示。ABC123という路線表示も解りやすいのがニューヨーク。 CEで一気にダウンタウンに南下する。キャナル・ストリート駅で降りる。駅からブロードウエイに向かって 5本分アップする。なんとしてでも、SOHOの文字の書かれた飾り物を買いたい。名古屋の SOHOJAPANのオフィスに飾りたい。
以前、ロケでぶらついたときには、あちこちで目についたそれは、今回、なかなか見当たらない。雑貨店に、何度も首を突っ込んで訊く。足も肩も濡れてくる。焦る。諦めようとしていたその時、見つかった。
IMG 4723捜し物は、車のナンバープレートなのだ。スーベニールとしては、格好の代物なのだ。大城社長は喜んでくれるだろう。オフィスに飾ってくれるだろう。値段も聞かずに即決で買った。それ以上のものが見つからなければ、ソーホーの観光スポットを省いて、帰る。ブティックもレストランカフェも、雨足に祟られてか、閑散としていた。

角のユニクロの店舗が入るらしく、ロゴがベタベタと汚く張られていた。店舗を買い取ったばかりだろうか、オープンすれば、目に留まりやすいロケーションではあるが、ソーホー地区の洒落たブティックのゾーンからは、正直、離れているといえる。たしか、昨秋ニュージャージー州にショップオープンさせたはずだが、住宅地よりも、ニューヨーク大学の学生も出歩ける今度のソーホーの方がマッチすると思う。世界最大の広さになるようだ。
soho
ブティック店に入って、帰りの駅を念のため訊く。向かおうとしていたスプリング・ストリート駅よりも、キャナル・ストリート駅の方が近いというので、戻ることにした。
 
今度は、自販機に1ドル札が入らない。フェイスアップという通りにしても返ってくる。後ろの女性が親切に教えてくれるのだが、雨で湿っているのか。左右を逆にしたら通った。どうやら、この駅の自販機は、紙幣の顔向きに好き嫌いがあったようだ。日本では、裏表どちらになっても読み取れる能力があるが、アメリカではまだこの点は荒っぽい。多忙なビジネスマンは、地下鉄に乗らないで、リムジンかタクシーなのだろうか。
 
シャトルバスの時間はホテルを16時発。これに乗り遅れたなら、あと1時間後だと言ったら、妻はどこかでオチャしていましょうと淡々としている。
僕は腕時計を睨み付けている。駅に着くのが2分前くらいだろう。ホテルの横が地下鉄の口だ。
駆け上がって信号を渡ったら、信号を渡る直前でバスは停まっていた。青だからと、妻を急いで走らせた。
バスのドライバーに開けてくれと閉まっているドアの前でパントマイム。ドライバーも、左右を見て、開けてくれたのだ。間に合った。ぎりぎりセーフだった。
 
ピア91
2013年 9月 30日(月曜日) 18:33

060605 大西洋7

060605

昨夜はメインショーをキャビンでTV中継を見ていたのだが、体を横にしたら、終わりまでは目を開けていられなかったようだ。 すぐ眠りに落ちたのだろう。だから、彼女たちのオリジナル曲「世界一周の歌」は、聴けずじまいだった。 目覚めたのが25時。いつもなら、まだ、起きている時間である。揺れが大きくなっていた。 だからといって、起き上がってPCを打ち込む気力も、文庫本を読む気もなく、また目を閉じた。左肩と腕がまだ痛むので、身体を右に向けて眠る。

再び4時に目覚めた。夢を見ていたが、思い出せない。

5時30分、ローリングしている。太陽は既に、船の右舷後方に上がっている。水平線のすぐ上は雲に覆われているのだが、上空には青みが多い。晴れるか。

6時50分、廊下を行き交う人の挨拶が聞こえてきた。水平線はくっきりとして、雲が白く立ち上がり、天空は青空が広がってきた。揺れは、まだ収まらない。 キャビンの狭いトイレで用を足すにも、バーを握っていないと危ない。ドレッサーの前に置かれた妻の目覚ましが鳴っている。

朝食には8時前に入った。最近は、八点鐘を食堂で聴くことが増えている。 八点鐘の鐘を希望する船客が叩いているのだが、毎朝その叩きっぷりをキャプテンが言葉を添えて褒めているのが笑いを誘う。 いや、キャプテンは、苦心しているのではないかと思う。続いて流れるキャプテンのコメントを松田さんは、目をつむって聴いている。 僕は、走り書きをする。朝食を終えてしまった菅井荘輔さんは、キャビンでそれをメモる。 東さんは、それを聴き終えてから、立ち上がって朝食のトレーを取りに行く。 キャプテンのアナウンスに拍手する人もいる。様々な朝だ。

八点鍾『にっぽん丸は現在、ニューヨークの東、360海里(667km)を航行中です。

波がいろいろな方向から来ており、小型船のような周期の早い揺れになっています。あまり気持ちの良い揺れではありませんが、徐々に静かになってゆきます。

この波は、ボストンの北東側にあった低気圧に南風が吹き込み、うねりが生じたものです。すでに低気圧は昨晩過ぎ去り、大陸から高気圧が張り出してきていますので、お天気は回復してゆきます。

このような揺れを感じていると、今から約400年前にイギリスのプリマスを出港した、102名の移住者を乗せたメイフラワー号を思い出します。 メイフラ ワー号はバージニア州に向かっていましたが、悪天候によりニューヨークの北、マサチューセッツ州のプロビンスタウンに到着しました。

その約130年前の1492年にコロンブスがサンサルバドル島に上陸して、新大陸発見!と勘違いをしました。 今から何百年も前に、西に新しい新天地を求めて航海をしてきた人達に思いを馳せて、本船はニューヨークに向かっています。

明朝06:00にハドソン川の河口で水先案内人を乗船させて、09:00にニューヨークに入港します。入港1時間前頃に「自由の女神」や、その昔移住者が到着すると検査の為に上陸させられたエリス島が見えてくるでしょう。 お天気は回復してゆきます。』

高嵜さんが、ニューヨークのサークルクルーズ船は30分間隔だということ、半周のクルーズ船は、イーストリバー側からだと言うことを教えてくれた。

ガイドブックだと、半周クルーズも同じハドソン川から出ていることになっていた。

朝風呂帰りの藤川さんを捕まえた。「1日ツアーで帰船した後の18時30分に、税関出口にタクシーは呼び寄せられますか? サークスクルーズ船のタイムスケジュールが判れば知りたいのですが。着岸した埠頭から、観光船発着場まで歩いて危険はないか?」「調べておきます」

デッキゴルフコースを使う朝の時間が、我々メンバーに解放された。新しい人が参加すると「教える」役の黒川君が、なにかと気遣って大変だと思ってはいたが、 船側の星野、蘇、黒川会談の結果、初心者への手ほどきは午後からの時間帯へ変えましょうかと高嵜さんに打診があったという。 いい打開策だと思う。ダンス教室と重なって、プレイしたいが出来ない、そういう方々が多いと思うからだ。 我々のメンバーの中にも、9時からダンスの横田さんと、10時からの高橋さんは、互いがメンバチェンジして行く。

これで、午前のデッキゴルフは教室ではなく、同好会の時間としてもらえたのだ。 従って、9時のプレイから、「ホールイン・ワイン」は、実効となった。

白先攻は、高嵜、萩原、西出、工藤、山縣。赤は管井、菅谷、松田夫妻、中島。

リーグ優勝決定戦の日であるから、僕の2試合目はない。右肩、右手、右足の問題をどうクリアするかの練習だけをして、丁寧な打ち方を心がけたい。 そう密かに思い、打ち出したら、ミスは思いの外、多くなく、1,2,4を順調に抜け出し、しかも、味方を助けながら、早くに権利玉になれた。なんと楽な動きか。 肩の痛みは気づかれてはいない。早く湿布を貼り替えたい。同点上がりだが、権利玉の多い白が勝ちとなった。

10時05分からは、B(関西支社)対C(関東支社)の優勝戦が始まった。 高嵜さんの調子より、松田さんの方が上回っていたのだが、ナイスチョット松田が、2の帰り道3に向かう前にドボンされ、苦戦。 スイスイ工藤が、スイスイ行かず、焦りから何度もスカを繰り返すという状況。惜しまれるショットが数多く見られた。 本間さんのケアにロングシューター松田が孤軍奮闘。それでも、最後は面白い展開になった。 高嵜独りに対して、工藤、本間、松田のせめぎ合い。頭脳ゲームである。 詰め将棋。本間さんを安全に上げさせられるため、高嵜を追い落とすチャンスを工藤さんが焦り、高嵜さんは中央で、失敗して集まる頃合いを蛇のようにじっと我慢した。 目玉球の休憩が解けた時、中央への踏み石が出来、ゴールした。 ナイスチョット松田をドボンから助け出せない4コーナーでの攻防が勝敗を決したものと思う。

Cチーム高嵜、Bの松田、Aの萩原と戦績順位は、年功序列になってしまった。

賞品を買って、ニューヨークを出航した夕方に、リドデッキで表彰式をすることになった。

今夕は、妻は、高嵜部屋で菅井夫妻とアペリチフを飲み会をするとか。戦勝祝いだと高嵜さんが、ウインクした。敗戦の将語らず、だ。

シャワーを浴びたくなるような汗ばんだ日は、何日ぶりだろうか。暑くなってきた。

昼食はエリー担当の奥座敷で、そうめんを食する。ご飯はやめて素麺をお代わりした。窓の外が騒がしい。 まんぼうが海面に出てきたと、美子さんが駆け込んできた。望遠レンズを持たないデジカメの人は、右往左往しているだけだった。

NYでのMET(メトロポリタン美術館)が観光客で行列するという情報を得た。 絵を見るより、生きた街を見歩く方が時間価値は高いな、と考えた。絵や彫刻は、機会があれば、上野西洋美術館へ来るかも知れないし、例え門外不出の作品でも、書籍ビデオという手がある。 しかし、生きた街は移り変わる。自分の目で見て肌で感じてこそ、観光だと思うので、ニューヨークで暮らすサムに訊いてみた上で、2日目の行動を練り直すことにするよ、と美子さんには伝えた。

宮崎先生の講義は、最終回。「海からの世界史・ラッコと鯨の海」。

ロシアのピヨトールⅠ世が、北極経由で中国・インドとの貿易ルートを得るために、アジアとアメリカ(後の国)が陸地続きであるのかどうかを、 海軍勤務のデンマーク人・ベーリングに下命し、陸続きではないことを知る。 そして、さらに、アメリカ大陸の海岸線探査と航路開拓を下命。 彼は、帰路、ベーリング島(後の命名)で死亡してしまうが、その島が黒テンよりも良質な毛皮採取となるラッコの飼育圏であることが判った。

一方、日本人船長・伊勢の大黒屋光太夫が、紀伊から江戸への回船で暴風雨に遭い、七ヶ月後にアリューシャン列島のアムチカ島で、ラッコ猟のアリュート人に助けられた。

ラッコの毛皮貿易の代わりに生鮮食品を得たいロシアは、大黒屋光太夫を介して日本との国交を計ろうとした。 ロシア全権大使を伴って根室に到来し、幕府の要請で松前藩に交渉したが拒否され、その後、長崎入港許可証を手に入れた。 ロシアとアメリカの合弁会社、露米会社の支配人レザーノフが、フィンランド湾から大西洋を南下しホーン岬を回って長崎に到来したが、幕府は彼を半年間隔離の後に退去を命じた。 それを不満としてレザーノフは、皇帝の許可を得ず独断で、松前藩の守る樺太、択捉と利尻を攻撃することになった。その後、幕府は警護体制を強化すると共に、 今度は幕府が、勢力範囲を調査する目的で間宮林蔵を派遣し、アムール川下流にまで辿り着き、樺太との間に海峡(後の間宮海峡)があることを発見する。

幕末の日本に開国を迫ったロシアとアメリカに、こうした領土問題が横たわった。

16時、1階のシアターで観た映画は「映像で知るジャズの歴史、大恐慌とジャズ」。

1929年の大恐慌で荒んだアメリカ国民を癒したのは、ラジオから流れる無料の音楽だった。 そして、ルイ・アームストロング、ベニーグッドマン、カウントベーシーの曲が生まれていった。

17時30分からは、焼酎持ち込みで高嵜ルームにお邪魔した。塩分抜きのおつまみで、ビールやワインを空けてしまった。 四人の高笑いは、おそらく、廊下を歩く人に聞こえる程、騒がしかったことだろう。

ダイニングには、限度ぎりぎりの19時に滑り込んだ。 既に、僕の特別食はセンター奥のテーブルに置かれていた。ここへ菅井夫妻も含めて、6人席を作ってもらった。 先ほどの空気の延長だった。誕生日でも結婚記念日でもない、キャプテンも来ないテーブルなのに、盛り上がっていた。

山縣さんが我々の旅行記の本を買いたいのだが、と妻に打診したという。部屋で手持ちの本を探したら、サムへの土産用に1冊と予備1冊だった。ほっとした。

ライブラリーで読まれた他の船客からも、船内の売店で売ってくれるといいのにと何度言われてしまう。 嬉しい反応だが、こういう声が大きくなったら、果たして、置いて貰えるのだろうか。 国内線クルーズの売店販売となっても、近い将来のワールドクルーズへの潜在顧客を啓蒙することができれば、 商船三井客船にも陰のPR誌になると思うのだが・・・。

はじめに

萩原高 徒然なるままに、書きますが、街で耳にしたこと、眼に入ったこと、などなど、生活を変えるかもしれない小さな兆しを見つけたいと思います。
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